*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.18
いま俺、こう推測しましたよ。この女性は、世界的スーパースターのことが気になって気になって仕方がなかった(現実)。ところがその女性には、自分がその世界的スーパースターのことを気にしているはずはないという「自信」があった、って。
このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
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その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
では、もしそこで、この女性が前者1の「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、果してどうなっていたか、ひとつ想像してみましょうか。もしとっていたら、この女性は驚きながら、つぎのように認識を改めることになっていたかもしれませんね。
「まさか、この自分が、世界的スーパースターに夢中になっているとは! 自分にもこんなミーハーな部分があるなんて、つゆ思いもしなかったなあ」。
でもこの女性が実際にとったのは、後者2の「現実のほうを修正する」手だった。自分が世界的スーパースターのことを気にしているはずはないとするその自信に合うよう、この女性は現実をこう解した。
世界的スーパースターがしきりにわたしに言い寄ってくる。病院に迎えに行くとしきりに約束もしてくる。世界的スーパースターにわたしは愛されている。
いまの推測を箇条書きにしてまとめると、こうなります。
- ①世界的スーパースターのことが気になって気になって仕方がない(現実)。
- ②自分がその世界的スーパースターのことを気にしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「世界的スーパースターがしきりにわたしに言い寄ってくる。病院に迎えに行くとしきりに約束もしてくる。世界的スーパースターにわたしは愛されている」(現実修正解釈)
さあ、ここまで、まず、みなさん、どうでした? いま見ましたひとり目の女性のことを(精神)医学は統合失調症と診断し、「理解不可能」と決めつけてきましたけど、ほんとうにこの女性のことを、「理解不可能」と思いました?
むしろ、「理解可能」だと確信したのではありませんか。
もちろん、この女性のことをいま完璧に理解し得たと言うつもりは、俺にはまったくありませんよ。多々誤解してしまったのではないかと気が咎めているというのが、ウソ偽らざる俺のいまの心境ですよ。
でも、そうは言ってもさすがに、この女性がほんとうは「理解可能」であるということは、いまの考察からでも十分、明らかになりましたよね?
みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、この女性のことが完璧に理解できるにちがいないということは、いま十分に示せましたね?
この女性のことが(精神)医学に理解できないのは、単に、この女性のことを理解するだけの力が(精神)医学にはないということにすぎないと、いま極めてハッキリしましたね?
2021年9月13日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.17)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。