*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.30
◆表現内容まで「理解不可能」であることにする
ここから、もう少しだけ先に進みましょう。が、そのまえに、冒頭からこれまでを簡単に一段落でふり返ってみます。こういうことでした。
はじめに、音大生さんが「理解可能」であることを確認しました。音大生さんは単に、「まわり」のひとたちにどう思われているかしきりと気にする自分の「心の動き」に囚われるあまり、精神科医への応答が上の空になって、返答が途切れ途切れになっていただけなのではないかということでしたね。でも、人間理解力が未熟な(精神)医学はその音大生さんを、思考が「理解不可能」な状態(思考障害)になっているということにして差別する、とのことでしたね。
だけど(精神)医学はこのように思考を「理解可能」であることにするだけでは満足しません。つぎのように、患者が表現しようとしている体験内容まで、隙あらば、「理解不可能」であることにしようとします。
先の引用のつづきを見ていきますよ。
〔引用者補足:話の〕纏まりが悪くなるのには、もう一つ別の原因が関係している。それは、本人が伝えようとしていること自体が、周囲の人には現実感をもって理解することができないという場合である。この場合、言語自体には論理的破綻がなくても、聞いている者には腑に落ちない思いに囚われ、「意味不明」だと感じることになる。
この場合には、しばしば幻覚や妄想を伴っていることも多い。たとえば次のケースでは、本人にしかわからない独自の感覚的体験を伴っているため、第三者には理解できない。
「みんなが見るんです。私のことを妬んで。そしたら、飛ぶんです。頭が。すごく飛ぶんです。どうしたらいいんですか。もういやなんです。飛ばないようにしてください」
言語として破綻しているわけではないが、ほかの人には体験できない知覚や考えが混じっているため、聞く者はすんなりとは理解できない。普通の常識からは、その意味を推し量ることができないのである(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.103、ただしゴシック化は引用者による)。
先の音大生さんとは別のひとを出してきて、こう言っていましたね。本人の言っていることは、「本人にしかわからない独自の感覚的体験を伴っているため、第三者には理解できない」「言語として破綻しているわけではないが、ほかの人には体験できない知覚や考えが混じっているため、聞く者はすんなりとは理解できない」、って。
でも、ほんとうに、そのひとの表現しようとしていた内容(体験内容)は、「理解不可能」でしたか。
いや、「理解不可能」なんかではありませんでしたよね?
そのひとはこう言っていました。「みんなが見るんです。私のことを妬んで。そしたら、飛ぶんです。頭が。すごく飛ぶんです。どうしたらいいんですか。もういやなんです。飛ばないようにしてください」って。そのひとは、見られることが苦手なのかもしれませんね。見られると、いわゆる「パニック」を起こすのかもしれませんね。パニックになるそのことを「頭が飛ぶ」と表現しているのかもしれませんね?
ほら、レコードやCDを再生しているとき「音飛び」がすること、ありませんか。「音飛び」というのは、音楽の流れが急に別のところに移ってしまうことですけど、それとおなじように、自分の感じ考えていることが、急にまったく別のところに行ってしまうことをそのひとは「頭が飛ぶ」と表現しているのかもしれませんよね?
実際、「頭が飛ぶ」というそうした表現はしばしば使われませんか?
どうですか、みなさんにもそんなふうに「頭が飛ぶ」こと、ありませんか。いまのひとは、他人に見られると「頭が飛ぶ」と言っていましたけど、みなさんはどんな場合に「頭が飛」びますか。
ともあれ、いま、あらたに登場してもらったひとの表現内容(体験内容)も、精神医学の言うところに反し、「理解可能」であることが確認できましたね?
2021年11月9,10日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/8)はこちら。
*前回の短編(短編NO.29)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。