(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

理解不可能(了解不能)な人間がこの世に存在しないことを、別のもっと簡単な仕方で確認する(3/4)【短編NO.5の補足】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.60


 いま、みなさん、そのひとがそのように泣いているのを「わかる」と言いましたね? 「理解できる」と言ったわけですね?


 これはつまり、こういうことではありませんか。そのひとの実際のありようが、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだというイメージに合致しているとき、その合致していることを、ふだんみなさんは、そのひとのそのありようを理解できる」というふうに表現するんだ、って?


 では、今度は反対に、そのひとがそのように泣いているのが、みなさんの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだというイメージに合致しないと仮定してみてくれますか。


 どうですか。合致しないと感じているこのとき、みなさんがもし何か喋るとしたら、こんなふうなことを口にするのではありませんか。


「プリンが無くなっているくらいのことでふつう泣く? いやあ、泣くだなんてとても理解できないなあ!」って。


 今、みなさん、そのひとがそのように泣いているのを「理解できない」と言いましたね?


 これはつまり、こういうことではありませんか。そのひとの実際のありようが、みなさんの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだというイメージに合致していないとき、その合致していないことをふだんみなさんは、そのひとのそのありようを理解できない」と表現するんだ、って?


 だとすると、正常とは何か、異常とは何かは、こう言い換えられることになります(最初の箇条書きを参照されたし)。


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとのありようを「理解可能」と見、
  • ②その理解可能であることをもって、そのひとを問題無しと考えること、


 かたや、ひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとのありようを「理解不可能」と見、
  • ②その理解不可能であることをもって、そのひとを、問題有りと考えること、


 である、って。


 要するに、ひとを正常と判定するというのは、そのひとのことを「理解可能」と認定することであるいっぽう、ひとを異常と判定するというのは、そのひとのことを「理解不可能」と認定することなんだ、って?






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2023年11月23日に文章を一部修正しました(内容は変わっていません)。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.59)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。