(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

医学の名のもと差別されるのは誰か、をもっと簡単な仕方で確認する(3/4)【短編NO.3の補足】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.58


◆正常か異常かを決める基準はどこから来るか

 ひとを正常と判定するというのはこういうことでした。


 そのひとの実際のありよう
と、こちらがひとというものに対してもっている「ひととはコレコレこういうものだというイメージ(言うならば、ひとについての定義)とを、比べることである、って。


 つまり、そのひとの実際のありようを、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、その合致していることをもって、そのひとを問題無しと考えることだ、って。


 いっぽうひとを異常と判定するというのは、こういうことでしたね。


 そのひとの実際のありようを、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、その合致していないことをもって、そのひとを問題有りと考えることだ、って。


 箇条書きでまとめるとこういうことです。


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、ひとというものに対してこちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
  • ②その合致していることをもって、そのひとを問題無しと考えること、


 かたやひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、こちらの頭のなかにあるその「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②その合致していないことをもって、そのひとを問題有りと考えること


 医学はこのように、ひとを正常もしくは異常と判定するときに、ひとというものに対して己(科学のことです)がもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに基づきます。


 では、医学はこのイメージをどうやってこしらえあげるか。


 先に挙げた3グループのなかの、A「標準的なひとたち」のありようを使って、です。


 要するに、先の標準的なひとたちのありようを見てまさにひととはコレコレこういうものだと決めつけるということです。


 するとどうなります?


 そのようにして作成された「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに、A「標準的なひとたち」はもちろん合致するが、それ以外のふたつの集団、すなわちB「標準的なひとたちより優れているひとたち」とC「標準的なひとたちより劣っているひとたち」は合致しないということになりますね。


 そこで、医学は、ここでもまた社会の慣例にそのままもとづいて、こういう操作をします。


 まず、B「標準的なひとたちより優れているひとたち」については、そのイメージに合致していないことをもって、そのひとたちを、恵まれたものとか祝福されたもの、と考え、天才とかgiftedとかと表現します。






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2023年11月22日に文章を一部修正しましたし(内容は変わっていません)。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.57)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。