*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.60
◆「現実」が「イメージ」に合致するとは、しないとは
数回前の短編で、この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを、イメージというものを使って改めて確認しましたよね。それを踏またうえで、話を進めていきますね。
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その数回前の短編。
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最初に、正常とは何か、異常とは何かということについて簡単にふり返っておきましょうか。
こういうことでしたね。
ひとを正常と判定するというのは、
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①そのひとの実際のありようを、ひとというものに対してこちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに、合致していると見、
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②その合致していることをもって、そのひとを、問題無しと考えること、
かたや、ひとを異常と判定するというのは、
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①そのひとの実際のありようを、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに、合致していないと見、
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②その合致していないことをもって、そのひとを、問題有りと考えること、
でしたね。
では、ひとの実際のありようが、そうしたメージに合致している(正常の場合)とか、合致していない(異常の場合)とかいうそのことを、ふだんみなさんが日常生活で、正常異常とは別の言い方で何と表現しているか、思い返してみましょうか。
いま、あるひとが泣いていると、みなさん、想像してみてくれますか。お風呂上がりに食べようと冷蔵庫のなかに入れておいたプリンが無くなっていると訴えて。で、そのひとがそのように泣いているのが、みなさんの、ひとというものに対してもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致している、とまず仮定してみてくれますか。
どうですか。合致していると感じているこのとき、みなさんがもし何か喋るとしたら、こんなふうなことを口にするのではありませんか。
「とてもよくわかる。楽しみにとっておいたプリンが無くなっていたら、そりゃ、誰だって泣きたくなるわ」って。
2023年11月23日に文章を一部修正しました(内容は変わっていません)。
*前回の短編(短編NO.59)はこちら。
*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。