(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

理解不可能(了解不能)な人間がこの世に存在しないことを確認する(2/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.6


◆理解することの意味

 早速はじめましょう。


 誰かが笑っているものとまずみなさん、想像してみてくれますか。当初みなさんにはそのひとのことが理解できないと仮定しますよ。「可笑しいことなんて何もないのに、アイツ、何を笑っているのだろう。理解不可能だ」とみなさん、思っているとしますね。


 では、そのように笑っているのを理解不可能と見る、というのは、いったいどういうことなのか、考えてみましょうか。


 どうですか。それは、そのように笑っているのを理に叶っていないと見る、ということではありませんか。


 さて、しばらくして不意にみなさん、気づくとしますね。ちっちゃな子供が遠くのほうから、そのひとに向かって手を振っているのに。


 すると一転、みなさんはこう反省することになるのではありませんか。


「なんだアイツ、とかと思って、悪いことしたなあ」


 みなさんはそのひとのことが理解できるようになったわけですね。つまり、そのひとが笑っているのは理に叶っていると思えるようになったわけですね。


 いま、つぎのふたつの等式を獲得しましたよ。

  • 等式A:ひとを「理解可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っている」と認定する。
  • 等式B:ひとを「理解不可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っていない」と認定する。





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*今回のものより、もっと簡単な方法で、「理解不可能な人間はこの世に存在し得ない」というこのことを、後日、確認した回はこちら。


*前回の短編(短編NO.5)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。