(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

理解不可能(了解不能)な人間がこの世に存在しないことを確認する(1/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.6

目次
・この世に「理解不可能」な人間は存在するか
・理解することの意味
・正常、異常の意味を突きつめる
・結論(理解不可能な人間はこの世に存在し得ない)


◆この世に「理解不可能」な人間は存在するか

 みなさんはこの世に理解不可能な人間は存在すると思いますか


 たとえば(精神)医学はそうした人間が存在するとしますよね? 


 でも、ほんとうにそんな人間がこの世に存在すると、みなさん、思います?


 いま俺が手にもっている本、『統合失調症』(PHP新書、2010年)のなかで、著者の岡田尊司精神科医はこの件に関し、こう言っていますよ。

 われわれ人間は、他人の心を直接知ることはできないが、表情や言動、行動の意味するもの、つまり、背後にある感情や意図を推測することができる。その推測が、ときには的外れなことがあっても、もう少し言葉をやり取りしてコミュニケーションを深めることで、より正しい理解に辿り着き、相手が感じていること、相手が意味したことを共有することができる。これを、精神医学者であり哲学者でもあったヤスパースは「了解可能」と呼んだ。われわれは通常、了解可能な世界で暮らしているわけである。


 ところが精神病性の症状が起きているときは、幻聴に対して耳を澄ませたり、応えようと大声を上げたり、幻聴が命じるままに窓から飛び出そうとしたりということが起こる。周囲から見れば、その行動はまったく不可解である。理由を聞いても、聞けば聞くほど不可解な答えが返ってくる


 たとえばある女性は、布団を何枚も重ねて敷き、マスクをして寝た。理由を問うと、「一階に新しい住人が越してきて窓を開けるので、スースーして仕方がない。おまけに、タバコをぷかぷか吸うので、煙くて堪らない」とこぼした。もちろん一階と二階とでは、完全に仕切られているから、階下の住人が窓を開けようがタバコを吸おうが、影響はないはずである。だがその女性には、それがありありと感じられ、苦痛で堪らないのである。


 この女性の感じているものを、通常の常識で納得したり共有したりすることはできないヤスパースは、こうした状態を「了解不能」と呼んだのである。


 このヤスパースの定義は、非常に明快でわかりやすいものに思える。しかし実際にはことはそう単純ではない。たとえば、このケースの女性の行動や言動にしても、もう少し事情を聞くと、いくらか理解できるようになる。この女性は一度、この新しい住人が部屋の窓を開けて、タバコを吸っているところを目撃したことがあった。ところがすぐ上には、女性の布団が干してあって、女性はとても不愉快に思ったのだ。


「了解」できるかできないかは、明らかに情報量に左右されるし、表面的な行動だけで判断するか、内的な体験にまで踏み込むかでも違ってくる。「了解」する気がなければ「意味不明とか支離滅裂の一言で片づけられやすくなる。「了解不能といって片づけてしまうことはある意味実に容易である。「了解不能であるから正気を失っており精神病にかかっていると結論づけてしまえば、それは単なる症状にすぎず、患者が「意味不明」の言動によって何を意味しようとしたのかは、問題にするだけムダということになる。


 しかし、一見、意味不明で不可解に思える言動も、もう少し立ち入って話を聞いたり事情がわかってくると、なるほどと腑に落ちたり、その背後にある気持ちに共感を覚えたりすることは少なくないのである。


 ただ残念ながら、今日の精神医学は、そうした意欲や関心を次第になくしているようだ。精神医学という名前をもちながら、精神に対する関心をなくしているのである。非現実的な言動や行動は病気の症状として捉えられ薬物療法で消し去ることにだけ関心を注ぎがちである。もちろん、薬物療法によって症状を軽減することが重要なのは言うまでもない。幻覚や妄想は、放置すればするほど脳神経系が損傷されてしまうからだ。


 しかし同時に、その人が抱えた症状はただの病気の症状であって無意味であるとみなすことでは、その人が抱えている苦悩や、その症状によって伝えようとしたメッセージは、汲み取られないままに終わってしまう。それは、病気を引き起こしている周囲の問題に目を向ける機会を奪い、あたら再発を繰り返させてしまうことにもなる(同書pp.228-232、ゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 引用がちょっと長くなりすぎましたね。


 ともあれ、岡田精神科医は言っていましたね。(精神)医学は一部のひとたちを「理解不可能」と認定し、精神病と診断するんだって主旨のことを。


 けど、こうも言っていましたね。一見、「理解不可能」と思われるひとたちも、理解しようと努めると、理解されてくることがあるんだ、って。


 みなさん、どう思います?


 (精神)医学が言うように、ほんとうに、「理解不可能」なひとはこの世に存在すると思いますか。


 今回は、(精神)医学のそうした見立てに反し、実は理解不可能なひとなどこの世にただのひとりも存在し得ないということを確認していきますよ。





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2020年3月21日に文章を一部修正しました。


*今回のものより、もっと簡単な方法で、「理解不可能な人間はこの世に存在し得ない」というこのことを、後日、確認する回はこちら。


*前回の短編(短編NO.5)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。