*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.6
◆正常、異常の意味を突きつめる
さあ、いま獲得しましたふたつの等式については、あとでまた持ち出すこととして、つぎは、正常、異常という言葉の意味をすこし掘り下げてみることにしましょうか。
(精神)医学は、健康を正常であること、病気を異常であることと定義づけてやってきましたよね。そうして、ひとを正常なものと異常なものとに二分してきましたよね。
そのようにひとを、正常もしくは異常と判定するというのは何をどうすることだったか、みなさん、覚えていますか。
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そのことは「短編NO.1」で確認しましたよ(参考記事)
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ひとを正常と判定するというのは、
- ①そのひとを、「(ひとの)作り手の定めたとおりになっている」と見、
- ②その「作り手の定めたとおりになっている」ことを問題無しとすること、
いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、
- ①そのひとを、「作り手の定めたとおりになっていない」と見、
- ②その「作り手の定めたとおりになっていない」ことを問題視すること、
であるとのことでしたよね。
この「作り手の定めたとおりになっている」とか「なっていない」とかいうことについて、いまからすこし見ていきますよ。
この「作り手の定めたとおりになっている」「作り手の定めたとおりになっていない」というのは、つぎのように言い換えられるとみなさん、思いません?
理に叶っている、理に叶っていない、に。
だって、「作り手の定めたとおり」にならないだなんて、道理に合わないこと(おかしなこと、理に叶っていないこと)ではありませんか。ほんとうに「定めた」のなら、かならず、その「定めたとおり」になるというのが、ものの道理ではありませんか。
いま、「作り手の定めたとおりになっている」「なっていない」というのは、「理に叶っている」「理に叶っていない」と言い換えられると言いましたね。なら、先ほど復習した、正常と異常についてはこう言えるようになりません?
ひとを正常と判定するというのは、
- ①そのひとのことを「理に叶っている」と見、
- ②その「理に叶っている」ことを問題無しとすること、
いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、
- ①そのひとのことを「理に叶っていない」と見、
- ②その「理に叶っていない」ことを問題視すること、
である、って。
ではここで、最初に獲得したふたつの等式を思い出してみるとしましょうか。そのふたつはそれぞれこういう等式でしたね。再掲しますよ。
- 等式A:ひとを「理解可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っている」と認定する。
- 等式B:ひとを「理解不可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っていない」と認定する。
このふたつの等式AとBを、ちょうどいま確認しましたところに当てはめてみてくれますか。
するとどうなります?
こうなりません?
ひとを正常と判定するというのは、
- ①そのひとを「理解可能」と認定し、
- ②その「理解可能」であることを問題無しとすること、
いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、
- ①そのひとを「理解不可能」と認定し、
- ②その「理解不可能」であることを問題視すること、
である、って。
よって、こう言えることになりませんか。
- 結論1:ひとを正常と判定するというのは、そのひとを「理解可能」と認定するということ、
- 結論2:ひとを異常と判定するというのは、そのひとを「理解不可能」と認定するということ、
である、って。
もうここまでくれば、あとひと息です。
2020年1月25日に文章を一部、削除・修正しました。
*今回のものより、もっと簡単な方法で、「理解不可能な人間はこの世に存在し得ない」というこのことを、後日、確認した回はこちら。
*今回の最初の記事(1/4)はこちら。
*前回の短編(短編NO.5)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。