(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

〝統合失調症〟に見られた2つのパターン(1/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32

目次
・"統合失調症"の症例がふたつに分かれる
・「現実修正解釈」型
・「勝手にひとつに決めつける」型


◆"統合失調症"の症例がふたつに分かれる

 昨年2020年の2月頃からずっと、統合失調症と診断されたひとたちの、いわゆる症例なるものを見させてもらっていますよね。


 その数、いま現在、計15件にのぼりますね。

 

 

 で、そのひとたちが、医学の見立てに反し、ほんとうは「理解不可能」なんかではないことを「実地」に確認していますね。


 そうしたなか、みなさん、こう考えるようになってきてません?


 こうして見てきている、統合失調症のいわゆる症例なるものは2種類に分けられるんじゃないか、って。


 今回は、そのふたつを、以前にもちいた症例をひとつずつ再掲しながら、簡単に確認します。それぞれを、「現実修正解釈、「勝手にひとつに決めつけると名づけて、ね。





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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね。


2021年11月15,16日に文章を一部修正しました。


*前回の記事(短編No.31)はこちら。


*このシリーズ(全49回を予定)の記事一覧はこちら。

 

「神のお告げが聞こえた」に肉薄しよう(「統合失調症の◯◯を理解する」シリーズのspin-off)

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 今年2020年の2月初頭からずっと、「統合失調症の◯◯を理解する」というタイトルで、記事を書いてきました*1統合失調症と診断されたひとたちに、実際に記事のなかに登場してもらい、そのひとたちの統合失調症の症状とされる体験が医学の見立てに反し、「理解可能であることを実地に一つ一つ、確認してきたわけです(まだそれを続けるつもりですよ)。


 今回、そのシリーズのなかには入らないが、この機会に、関連付けて見ておきたい「神のお告げを聞いた」という、間寛平さんの体験*2をひとつ、補足blogのほうで、とり挙げました。


 その記事はこちら。

(了)

 

*1:下のページのなかにある「統合失調症理解#1〜15」までのことです。

*2:間寛平さんの「神のお告げを聞いた」というその体験は、下の記事に書かれています。

 

精神医学の「統合失調症のひとには病識がない」という言い草に、温厚なみなさんですら激怒する理由(4/4)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.31


◆「真に自覚あるもの」と「真に自覚無きもの」

 さあ、遅ればせながら、核心に近づいてきましたよ。先にこう指摘しておきましたよね。(精神)医学が統合失調症と診断し、「理解不可能」と決めつけてきたひとたちは、ほんとうは理解可能」なんだ、って。


 なら、統合失調症と診断されたそのひとたちが、そのひとたち自身のことを「理解不可能」と見なさなかったとしても、そのひとたちはまっとうな自己認識をもてている、ということになりますね?


 で、現に、そのひとたちは大抵の場合、そのひとたち自身のことを異常(理解不可能)となんか見なさないと言います。


 だけど、そのひとたちのことを「理解不可能」であるということにして差別しておきたい(精神)医学は、そのひとたちがそのひとたち自身のことを「理解不可能」となんか認めないそのことを、まっとうな自己認識をもてているということだとは認めてきませんでした。反対にこう決めつけてきました


 そのひとたちには、そのひとたち自身を理解不可能であると自覚することすらできないんだ。つまり、「病識がない」んだ。その「病識がない」というのは、統合失調症という病気の特徴のひとつなんだ、って。


 で、そのひとたちに、「病識を持つ」こと、すなわちそのひとたち自身のことを理解不可能と見なすようになることを強要してきました


 それもこれも、(精神)医学の人間理解力は未熟であるという真実を、素直に認められないばっかりに、ね? (精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだと、根拠なく、自信満々に思い上がっているばっかりに、ね?


 いまこういうことを確認しましたよ。


「理解不可能」なひとなどこの世にただのひとりも存在し得ない。ひとはみな「理解可能」である。統合失調症と診断されたひとたちが、そのひとたち自身のことを「理解不可能」と見なさないのは、「自覚がない(病識がない)」ということではなく、むしろまっとうな自己認識をもてている(自覚がある)ということである。ほんとうに自覚がないのは、おのれの人間理解力が未熟であることを素直に認められない(精神)医学のほうである、って。


 そんな「自覚のない」(精神)医学が、まっとうな自覚をもてているそのひとたちに、上から目線で、「自覚がない(病識がない)」と言うだなんて、醜悪極まりないではありませんか。


 そりゃあ、温厚なみなさんですら怒らずにはいられないというものですよ。





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2020年に配信する記事はこれが最終です(ひょっとすると別の種類の記事を書くかもしれませんが)。次回は2021年1月4日(月)21:00頃にお目にかかります。


2021年11月10,11日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.30)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

精神医学の「統合失調症のひとには病識がない」という言い草に、温厚なみなさんですら激怒する理由(3/4)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.31


◆おのれの人間理解力が未熟であることの自覚がない
 そうした差別的扱いを受けてきた例として誰にもまず、ぱっと思い浮かぶのは、統合失調症と診断されてきたひとたちではないでしょうか。そのひとたちはつぎのように、やれ「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言われ、ずっと「理解不可能」な者扱いされてきましたよね。

かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病人間の知恵をもってしては永久に説くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。

異常の構造 (講談社現代新書)

異常の構造 (講談社現代新書)

  • 作者:木村 敏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 新書
 

 

 専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能であることがこの病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 ですけど、ついいまさっき確認しましたように、そのひとたちはほんとうは「理解可能」です。そのことは、事例を挙げて実地に確認することもできます(現にそれを長々とやってきていますよね?)。(精神)医学がそのひとたちのことを理解できないのは単に、(精神)医学の人間理解力が未熟であるということを意味するにすぎません。

 

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「理解不可能」なひとなど存在し得ないということを、事例を挙げて実地に確認している記事はこちら。


そのことを簡単な仕方で、理論的に確認する回はこちら。

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 ところが(精神)医学には、おのれの人間理解力が未熟であるという自覚はまったくありません。むしろ、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという自信すら、揺るぎなく、あります。そしてその自信に合うよう、(精神)医学は、現実をこう解してきました。


 そのひとたちは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、「理解不可能」であると考えられる、って。


 いま言ったことを箇条書きにしてまとめるとこうなります。

  • ①人間理解力が未熟な(精神)医学には、「理解可能」なそのひとたちのことが理解できない(現実)。
  • ②(精神)医学には、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、(精神)医学は現実をこう解釈する。「そのひとたちは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、『理解不可能』であると考えられる」(現実修正解釈





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2021年11月10,11日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.30)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

精神医学の「統合失調症のひとには病識がない」という言い草に、温厚なみなさんですら激怒する理由(2/4)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.31


◆一部のひとたちを異常と決めつけ、差別する

 いま、(精神)医学が、健康を正常であること、病気を異常であること、と独自に定義づけてきたということをまず見ました。


 でも、これも以前に確認したことですけど、実はこの世に異常なひと(理解不可能なひと)など、ただのひとりも存在し得ません。言うなればひとはみな正常で、「理解可能」です。

 

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異常なひとなど存在し得ない、ということを以下の記事で確認しました。

(注)そのことをもっと簡単に確認する回はこちら。

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(精神)医学は、一部のひとたちを異常と判定し、病気であるとか、○○障害があるとか、△△疾患に罹患しているとかと表現してきました。で、そのひとたちを「理解不可能」であることにしてきました。だけど、いま言いましたように、そのひとたちはほんとうは、他のみんなとおなじく、正常で、「理解可能」です。(精神)医学はそのひとたちを不当にも異常と決めつけ、「理解不可能であるということにして差別してきたわけですよ。





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2021年11月10,11日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.30)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

精神医学の「統合失調症のひとには病識がない」という言い草に、温厚なみなさんですら激怒する理由(1/4)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.31

目次
・健康、病気の定義から
・一部のひとたちを異常と決めつけ、差別する
・おのれの人間理解力が未熟であることの自覚がない
・「真に自覚あるもの」と「真に自覚無きもの」


◆健康、病気の定義から

(精神)医学が口にする言葉のなかには、みなさんの気に障るものがいくつかあるでしょうけど、「統合失調症のひとには病識がない」というあの有名な言い草は、その最たるものではないでしょうか。


(精神)医学がひとに「病識がない」と言うその醜悪さに、身体がワナワナと震えるくらい、みなさんは怒りを覚えるのではないでしょうか。


 今回はその怒りがいかに的確か確認します


 さっそく、健康とは何か、病気とは何かを考察するところからはじめますね。


(精神)医学は健康とは何か、また病気とは何かということを、みなさんとはまったく別様に定義づけてきました。


 ほら、健康とは「健やかに康らかに」と書きますね。ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない」ということを表現するものではありませんか。


 いっぽう病気とは「気を病む」と書きますね。「気を病む」とは苦しむということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということを、その苦しみが手に負えないようなときに表現するものではありませんか。


 いま、みなさんがふだんしきりに健康であるとか病気であるとか言うことで争点にするのは苦しくないか苦しいか(快いか、苦しいか)である、という旨のことを言いました。


 けど(精神)医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言って争点にしてきたのは、そういうことではありませんでした。


 そもそも、身体を機械と見なす(精神)医学には、快さや苦しさは、うまく説明のできない訳のわからないものです。だって、機械は、快さや苦しさを感じませんよね?

 

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快さや苦しさが科学にはうまく説明できないというそのことについては何度も考察しています。

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 そんな、快さや苦しさが何であるかを理解できない(精神)医学は、健康を正常であること病気を異常であること、とそれぞれ勝手に定義づけてやってきました。そしてひとを、正常なものと異常なものとに二分してきました。


 そのようにひとを正常なものと異常なものとに二分するというのは、ひとを「理解可能」なものと「理解不可能」なものとに分けることを意味するんだって、以前確認しておきましたよね。

  1. ひとを正常と判定するというのは、そのひとのことを「理解可能」と認定するということ
  2. ひとを異常と判定するというのは、そのひとのことを「理解不可能」と認定するということ

 

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そのことを下の記事で確認しました。

(注)もっと簡単に確認する回はこちら。

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2021年11月10,11日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.30)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(8/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30


◆締めの言葉

 さあ、最後に全体を振り返りましょう。


(精神)医学はあるひとたちのことを統合失調症と診断し、やれ「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと、好き勝手言ってきました。今回は、そのように統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたひと3名に登場してもらいましたね。返答が途切れ途切れになる音大生さん、「頭が飛ぶ」と訴える患者さん、「ピーコン」ときて「バリバリ」して「ジンジン」するんだ、「ガンマー毒素」なんだと言う男性、の3名でしたね。その3名の方たちが、(精神)医学の見立てに反し、「理解可能であることを実地にひとつひとつ確認してきましたね。


 もちろん、そのひとたちのことを完璧に理解できたと言うつもりは俺にはサラサラありませんよ。むしろ、多々誤ったふうに決めつけてしまったのではないかと暗澹たる気持ちになっているというのが正直なところですよ。


 でも、そうは言ってもさすがに、そのひとたちが「理解可能」であるということ自体は十分、明らかになりましたよね? みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、そのひとたちのことが完璧に理解できるということは、いま十分に示せましたね?


(精神)医学には、そのひとたちのことがまったく理解できません。だけど、それは単に、(精神)医学の人間理解力が未熟であるということを意味するにすぎないと、極めてハッキリしましたね?





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次回は2週間後、11月2日(月)21:00頃にお目にかかります。


2021年11月9日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/8)はこちら。


*前回の短編(短編NO.29)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。