(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(7/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30


◆言葉遣いまで「理解不可能」であることにする

 だけど、(精神)医学は貪欲です。思考表現内容に止まらず、隙あらば、患者の言葉遣いまで理解不可能であることにしようとします。先の引用のつづきを見てみますよ。

 自分の常識や経験を超えた出来事に出合ったとき、人は「奇妙だ」と感じる。この奇妙さも、統合失調症にしばしばみられる重要な症状なのである。奇妙な言動、行動も、解体症状の一つだと考えられる。


 次のケースのように、明らかな幻覚妄想はないのだが、現実感が乏しい、つかみどころのない奇妙な内容を訴え続ける場合もある。


「なんか、おかしてくね。ピコーンとくるんですよ。そしたら、頭がバリバリして、厭な感じがするんです。風呂に入った日に、食事をしたときになりやすいですね。骨がジンジンして、疲れるんです。ガンマー毒素が増えるんです。寝ているしかないですね」


 このケースの男性は、よく自分にしか意味のわからない言葉を作り出して使った。自分の感情や感覚を表す言葉にも一般的でない奇妙な表現が多かった。


 このケースでも、言語自体が纏まりを失っているわけではないが、本人が伝えようとしていることは、聞き手には伝わりにくい。言葉があまりにも本人独自の意味内容で使われているためだ。「ガンマー毒素」といった造語も、本人にしか理解できない。本人独自の言葉を作り出す症状を「言語新作」というが、これも、コミュニケーションという言語本来の働きが、機能しなくなることによる。言語新作や、言葉の独特で奇妙な使い方も、解体症状の一つと捉えることができる(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、p.105)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

  • 作者:岡田 尊司
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書
 


 3人目のこのひとについてはこう言っていました。「言語自体が纏まりを失っているわけではないが、本人が伝えようとしていることは、聞き手には伝わりにくい。言葉が、あまりにも本人独自の意味内容で使われているためだ」って。


 でもほんとうにそのひとの言葉遣いは「理解不可能」なものでしたか。


 いや、「理解可能」なものでしたよね?


 そのひとはただ自分の身体感覚を正確に言い表そうとして、「ピコーン」とか「バリバリ」とか「ジンジン」とか言っていただけではありませんか。身に覚える苦痛(「厭な感じ」と表現していました)がどんなふうか、より正確に訴えようとして、そういった言い方をしていただけなのではありませんか。


 その言葉遣いに妙なところはこれといって無かったとみなさん思いません?


 みなさんもふだんそんなふうに言いませんか。「ジンジン」痛いとか、胸のあたりが「モヤモヤ」するとか、筋肉が錆びついてギシギシ」言っているだの、「デトックス(排毒)」をしたのしてないの、って。それとおなじ要領でこのひとも、「ピコーン」ときて、「バリバリ」して、「ジンジン」するんだ、「ガンマー毒素」なんだ、と言っているにすぎないのではありませんか。


 誰だって、身体感覚を表現しようとするとそれも正確に言い表そうとするとなおさらこのひとのような言い方に多かれ少なかれなりますね? ただそれだけのことであって、この男性の言葉遣いは十分「理解可能」なのではありませんか*1





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2021年11月9日に文章を一部修正しました。


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*前回の短編(短編NO.29)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:あたらしい言語はいつも誰かによって作られてきましたし、いまも作られていますよね。若いひとたちなんか、さかんに新語を作って日々、楽しんでいますね。誰だって、そうして言葉をあたらしく作るのに、芸術家や学者が現実をより的確に言い表そうとしてあたらしい言葉をつくるのには異を立てないが、精神病院に通院しているひとがおなじことをすると白い目で見るという(精神)医学のこうした態度は、恥ずべきものではありませんか。

統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(6/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30


◆表現内容まで「理解不可能」であることにする

 ここから、もう少しだけ先に進みましょう。が、そのまえに、冒頭からこれまでを簡単に一段落でふり返ってみます。こういうことでした。


 はじめに、音大生さんが「理解可能であることを確認しました。音大生さんは単に、「まわり」のひとたちにどう思われているかしきりと気にする自分の「心の動き」に囚われるあまり、精神科医への応答が上の空になって、返答が途切れ途切れになっていただけなのではないかということでしたね。でも、人間理解力が未熟な(精神)医学はその音大生さんを、思考が理解不可能な状態(思考障害)になっているということにして差別する、とのことでしたね。


 だけど(精神)医学はこのように思考を「理解可能」であることにするだけでは満足しません。つぎのように、患者が表現しようとしている体験内容まで、隙あらば、「理解不可能」であることにしようとします。


 先の引用のつづきを見ていきますよ。

 〔引用者補足:話の〕纏まりが悪くなるのには、もう一つ別の原因が関係している。それは、本人が伝えようとしていること自体が、周囲の人には現実感をもって理解することができないという場合である。この場合、言語自体には論理的破綻がなくても、聞いている者には腑に落ちない思いに囚われ、「意味不明」だと感じることになる。


 この場合には、しばしば幻覚や妄想を伴っていることも多い。たとえば次のケースでは、本人にしかわからない独自の感覚的体験を伴っているため、三者には理解できない


「みんなが見るんです。私のことを妬んで。そしたら、飛ぶんです。頭が。すごく飛ぶんです。どうしたらいいんですか。もういやなんです。飛ばないようにしてください」


 言語として破綻しているわけではないが、ほかの人には体験できない知覚や考えが混じっているため、聞く者はすんなりとは理解できない普通の常識からはその意味を推し量ることができないのである(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、p.103、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

  • 作者:岡田 尊司
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書
 


 先の音大生さんとは別のひとを出してきて、こう言っていましたね。本人の言っていることは、「本人にしかわからない独自の感覚的体験を伴っているため、第三者には理解できない」「言語として破綻しているわけではないが、ほかの人には体験できない知覚や考えが混じっているため、聞く者はすんなりとは理解できない」、って。


 でも、ほんとうに、そのひとの表現しようとしていた内容(体験内容)は、「理解不可能」でしたか。


 いや、「理解不可能」なんかではありませんでしたよね?


 そのひとはこう言っていました。「みんなが見るんです。私のことを妬んで。そしたら、飛ぶんです。頭が。すごく飛ぶんです。どうしたらいいんですか。もういやなんです。飛ばないようにしてください」って。そのひとは、見られることが苦手なのかもしれませんね。見られるといわゆるパニックを起こすのかもしれませんね。パニックになるそのことを「頭が飛ぶ」と表現しているのかもしれませんね?


 ほら、レコードやCDを再生しているとき「音飛び」がすること、ありませんか。「音飛び」というのは、音楽の流れが急に別のところに移ってしまうことですけど、それとおなじように、自分の感じ考えていることが、急にまったく別のところに行ってしまうことをそのひとは「頭が飛ぶ」と表現しているのかもしれませんよね?


 実際、「頭が飛ぶ」というそうした表現はしばしば使われませんか?


 どうですか、みなさんにもそんなふうに「頭が飛ぶ」こと、ありませんか。いまのひとは、他人に見られると「頭が飛ぶ」と言っていましたけど、みなさんはどんな場合に「頭が飛」びますか。


 ともあれ、いま、あらたに登場してもらったひとの表現内容(体験内容)も、精神医学の言うところに反し、「理解可能」であることが確認できましたね?





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2021年11月9,10日に文章を一部修正しました。


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統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(5/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30


◆障害という言葉を使って「理解不可能」と表現する

 さて、そんな(精神)医学は先の引用文のなかで、音大生さんのことを「理解不可能と表現するのに、「思考障害という言葉を使っていました


 どういうことか。


 その引用文中には、応答が途切れ途切れになる音大生さんのことを(精神)医学は「思考障害」と診断すると書いてありましたよね。そしてその「思考障害」なるものについてこう説明していましたね。

 考えを纏める力が落ちている状態を思考障害と呼ぶ。思考障害があると考えがうまく進んでいかずとぎれとぎれにしか話せなかったり、論理的な道筋に従って話すということが難しい。聞いている者は、とても理解しにくく感じる(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、p.102、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

  • 作者:岡田 尊司
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書
 


 つまり、音大生さんには「思考障害があって、「考えがうまく進んでいかないために返答が途切れ途切れになっていると(精神)医学は診ていた、とのことでしたね。


 そのように「思考障害」と言うときの「障害」という言葉は、「異常という表現の単なる言い換えにすぎないと以前に確認したの、みなさん、覚えてくれていますか。音大生さんを「思考障害」と診断するというのは、音大生さんの思考を異常と診断するということを意味します。

 

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「障害=異常」はつぎの記事で確認しました。

(注)もっと簡単に確認する回はこちら。

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 では、そのように、音大生さんの思考を異常と診断するというのはどういうことか


 これもまた以前に確認したことですけど、ひとを正常と判定するというのは、そのひとのことを「理解可能」と認定するということであるいっぽう、ひとを異常と判定するというのは、そのひとのことを「理解不可能と認定するということであるとのことでした。

  1. ひとを正常と判定する=そのひとのことを「理解可能」と認定する
  2. ひとを異常と判定する=そのひとのことを「理解不可能」と認定する

 

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「異常=理解不可能」は下の記事で確認しました。

(注)もっと簡単に確認する回はこちら。

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 したがって、音大生さんの思考を「異常」と診断するというのは、音大生さんの思考を理解不可能と認定するということになりますね?


 要するに、いま言ったことをまとめて言うと、こうなります。音大生さんを「思考障害と診断するというのは、音大生さんの思考を「異常」と診断するということ、ひいてはその思考を理解不可能と認定するということである、って。


 先ほどの引用文のなかで、(精神)医学が音大生さんのことを、「思考障害」という言葉をもちいて「理解不可能」と表現していたことがいま確認できましたよね?





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2021年11月9,10日に文章を一部修正しました。


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統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(4/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30


◆「理解可能」なひとを「理解不可能」であることにする

 ところが、(精神)医学には、おのれの人間理解力が未熟であるという自覚はこれっぽっちもありません。むしろ反対に、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという根拠のない自信すら、揺るぎなくあります。で、その自信に合うよう、(精神)医学は現実をこう解してきました。


 音大生さんは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、「理解不可能」な人間だと考えられる、って。


 いま、こう言いました。


(精神)医学は、人間理解力が未熟で、音大生さんのことが理解できない(現実)。しかしその(精神)医学には、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという「自信」がある。


 このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、やはり俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 では、そこで(精神)医学はそのどちらをとるのか。とるのは、先ほどの音大生さんとおなじく、後者Bの「現実のほうを修正する」手である。(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだとするその自信に合うよう、(精神)医学は、現実をこう解する。


 音大生さんは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、「理解不可能」な人間だと考えられる。


 こうして(精神)医学は、おのれの人間理解力が未熟であることを認めるのが嫌さに、ほんとうは理解可能である音大生さんのことを、「理解不可能と決めつけ差別してきたというわけですね。


 いまの推測を箇条書きにしてまとめてみると、こうなります。

  • ①人間理解力が未熟な(精神)医学には、「理解可能」である音大生さんのことが理解できない(現実)。
  • ②(精神)医学には、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、(精神)医学は、現実をこう解釈する。「音大生さんは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、『理解不可能』な人間だと考えられる」(現実修正解釈





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2021年11月9,10日に文章を一部修正しました。


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統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(3/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30


 いまこう推測しました。


 音大生さんは、「まわり」のひとたちにどう思われているか、気になって仕方がなかった(現実)。しかしその音大生さんには、自分が「まわり」のひとたちにどう思われているかを気にしているはずはないという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 で、音大生さんはその場面で後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分が「まわり」のひとたちにどう思われているかを気にしているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


 わたしのことを「まわり」のひとたちがしきりにとやかく言っているのが聞こえてきて、うるさい。


 箇条書きにしてみとめてみます。

  • ①「まわり」のひとたちにどう思われているか、気になって仕方がない(現実)。
  • ②自分が「まわり」のひとたちにどう思われているかを気にしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「わたしのことを『まわり』のひとたちがしきりにとやかく言っているのが聞こえてきて、うるさい」(現実修正解釈


 以上、音大生さんは、「まわり」のひとたちにどう思われているか、しきりと気にする自分の「心の動き」に囚われるあまり、精神科医への応答が上の空になって、返答が途切れ途切れになっていたのかもしれないということですよ。


 どうですか、みなさん。音大生さんのありようは理解不可能なんかではなさそうだと、思いませんでしたか。


 いやもちろん、いま音大生さんのことを完璧に理解できたと言うつもりは俺には全然ありませんよ。むしろ、誤ったふうに決めつけすぎたのではないかと気が揉めているくらいですよ。


 でも、そうは言ってもさすがに、音大生さんが「理解可能」であるということ自体は明らかになりましたよね? みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、音大生さんのことが完璧に理解できるはずだということは、いま極めてハッキリしましたね?


(精神)医学には音大生さんのことが理解できません。だけどそれは単に、(精神)医学の人間理解力が未熟であるということを意味するにすぎないとわかりましたね?





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2021年11月9日に文章を一部修正しました。


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統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(2/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30


◆話が途切れ途切れになる

 音楽大学の学生さん(以下、音大生さんと呼ばせてもらいます)の例からはじめますよ。その音大生さんは、精神科医への問いかけに途切れ途切れの応答を見せたと言います。

 考えを纏める力が落ちている状態を思考障害と呼ぶ。思考障害があると考えがうまく進んでいかずとぎれとぎれにしか話せなかったり、論理的な道筋に従って話すということが難しい。聞いている者は、とても理解しにくく感じる


 次はそうした一例で、音楽大学の女子学生が語った言葉である。


「もっと本がよみたい。…学校にはしばらく行かないで…家で一〇回だけ弾いて…(そして?)まわりがすごくうるさい。だから…おじさんが、おーそどっくすな本を読みなさい…(おじさんが?)黒人でアンドレ・ワッツというピアニストがいて、その曲を一回弾いて外に出たり、母親がアメリカ人で…カンパネラというピアノを弾いていたわけです。…でもピアノにかぎをしめてしまいました。(だれが閉めたの?)私です。…今、本を置いてきたのです。椅子のところ…」(平井富雄、関谷透『目でみる精神医学』より引用)


 このケースでは、話の言語的な纏まりが緩くなり、連合弛緩を呈している。ただ、一つひとつの言葉は、理解可能であるが、論理的なつながりが緩くなったり、個人的な連想で、言葉が連なっていくため、第三者には、話が飛んでしまったように感じられる。こういう状態のときには、考えが途切れたり(思考途絶という)、何を話していたかわからなくなるということも多い。これらは思考障害によって起こる症状である。さらにひどくなると、言葉がただ羅列されただけの「言葉のサラダ」状態になることもある(岡田尊司統合失調症』2010年、p.102、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 音大生さんは「まわりがすごくうるさい」と言っていましたね。それはいったい、どういうことだったのでしょうか。


 ひょっとすると、「周囲の物音」  診察室の外で誰かが喋る声など  をうるさがっていたという可能性も、ないではないのかもしれませんね。「周囲の物音」が気になるあまり、医師への応答が途切れ途切れになっていたということも、ひょっとすると考えられるのかもしれませんね。


 でも、ここではそういうことではないと仮定して話を進めていくことにしますよ。


 音大生さんのこのような途切れ途切れの応答にみなさん、心当たりありませんか。読書中やゲーム中に話しかけられ、そのような上の空の応答をとったこと、みなさん、これまでにありませんか。もしくは、何かに夢中になっているとか、悩んでいるとかしているひとに話しかけたとき、そうした途切れ途切れの応答をされたという経験、ありませんか。


 いや、ありますよね? 


 音大生さんはそのとき、自分のいわゆる心の声に気をとられていたのかもしれませんね。自分の「心の声」に気をとられるあまり、精神科医への応答が、いま見てもらったように、途切れ途切れになっていたのかもしれませんね。


 つまり、音大生さんは「まわりのひとたちに、たとえば、「あの子、学校に行ってないわね、何してるのかしら」とか「みんなとおなじように振る舞わないなんて、あの子、おかしいんじゃないの?」といったように思われているのではないかと気になって仕方がなかったのかもしれませんね。「まわり」のひとたちにどう思われているか、しきりと気になってどうしようもなかったのかもしれませんね。


 ところが、音大生さんからすると、医師の問診を受けているそのところで、自分が、そうしたことをしきりと気にしたりするはずはなかった。


 いや、いっそ、音大生さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき音大生さんには自分に自信があったんだ、って。「まわりのひとたちにどう思われているかを気にしているはずはないという自信が、って。


 で、音大生さんは、その自信に合うよう、現実をこう解した、ということなのかもしれませんね。


「まわり」のひとたちがしきりに、「あの子、学校に行ってないわね、何してるのかしら」とか「みんなとおなじように振る舞わないなんて、あの子、おかしいんじゃないの?」と言っているのが耳に入ってきて、「うるさい」、って。


「まわりがすごくうるさい」、って。





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2021年11月9日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.29)はこちら。


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統合失調症の「話が途切れ途切れになる」「頭が飛ぶ」「ピコーンときてバリバリする」を理解する(1/8)【統合失調症理解#15】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30

目次
・いつもの前置き
・話が途切れ途切れになる
・「理解可能」なひとを「理解不可能」であることにする
・障害という言葉を使って「理解不可能」と表現する
・表現内容まで「理解不可能」であることにする
・言葉遣いまで「理解不可能」であることにする
・締めの言葉


◆いつもの前置き

 この世に異常なひとなどただの一人も存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。

 

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そのときの記事をいちおう挙げておきますよ。

(注)もっと簡単にそのことを証明する回はこちら。

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 そしてそれは、この世に、「理解不可能なひとなど、ただの一人も存在し得ないということを意味するとのことでしたね。

 

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その確認をしたときの記事もいちおう挙げておきますね。

(注)もっと簡単に確認する回はこちら。

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 だけど、医学は一部のひとたちを不当にも異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。


 たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、こんなふうに、やれ、「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言ってきましたよね?

かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。

異常の構造 (講談社現代新書)

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  • 作者:木村 敏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 新書
 

 

 専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能であることがこの病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 最近はずっと、統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちに実際に登場してもらい、そのひとたちがほんとうは理解可能であることを実地に確認しています


 今回もまた性懲りも無く、おなじことをしますよ。今回は3名の方に登場してもらいますね。





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2021年11月9日に文章を一部修正しました。


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