*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32
◆「現実修正解釈」型
まずは、前者の「現実修正解釈」型から見てみますよ。短編「統合失調症の『声が命令してくる(幻聴)』を理解する」*1でとり挙げた「幻聴」と呼ばれる事例を再引用します。
ジャズ・トランペッターで作曲家のB〔引用者注:ここでも名前は伏せさせてもらいますね〕は、統合失調症を克服したミュージシャンとして知られている。Bは、八歳のときからトランペットをはじめ、十代のときには、その才能を示した。頭脳優秀だった彼は、スタンフォード大学に進学するが、その頃から不安定な徴候を示しはじめる。十八歳のとき、突然自殺未遂をして家族をうろたえさせた。しかし、統合失調症と診断されたのは、二十代になって幻聴や纏まりのない会話や行動がはっきりみられるようになってからである。ある日、オレンジジュースをのんでいると、幻聴が彼に命令したのだ。「窓から飛び出せ」と。Bは、窓ガラスに向かってジャンプした。窓ガラスは割れ、彼は血まみれになったが、辛うじて外に飛び出さずに済み、転落死を免れた(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.93、ただしゴシック化は引用者による)。
この事例については、こう推測しましたよね。その朝、Bさんは、オレンジジュースを飲んでいるとき、窓から身を投げて死にたくなったのではないか、って。窓から身を投げて死のうという衝動が、そのときBさんの身に突き上げてきたんじゃないか、って。
で、その衝動にBさんは身を任せた。
でも、オレンジジュースを飲んでいるそんなところで、自分が窓から身を投げて死のうと意思するなんて、Bさんにはまったく思いも寄らないことだった。
いや、いっそ、そのことを、語弊があるかもしれませんけど、裏返しにして、こう言い換えてみましょうか。そのときBさんには、自分が窓から身を投げて死のうと意思したはずはないという自信があったんだ、って。
朝、オレンジジュースを飲んでいるとき、窓から身を投げて死のうという衝動がBさんの身に突き上げてきた(現実)。で、Bさんは窓ガラスに突進していった。だけど、そのBさんには、自分が窓から身を投げて死のうと意思したはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。
- その背反を無くすために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- その背反を無くすために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、その場面でBさんは、後者2の「現実のほうを、自信に合うよう修正する」手をとった。自分が窓から身を投げて死のうと意思したはずはないとするその「自信」に合うよう、「現実」をこう解した。
「窓から飛び出せ」という声が聞こえてきたんだ。ボクは命令されたんだ、って。
つまり、自分の身に湧いてきた、窓から飛び出そうという自分の「意思」を、Bさんは、誰かから掛けられた命令の「声」ととった、ということですよ。
前回の記事(短編No.31)はこちら。
このシリーズ(全49回を予定)の記事一覧はこちら。
*1:こちらの記事です。