*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.31
目次
・健康、病気の定義から
・一部のひとたちを異常と決めつけ、差別する
・おのれの人間理解力が未熟であることの自覚がない
・「真に自覚あるもの」と「真に自覚無きもの」
◆健康、病気の定義から
(精神)医学が口にする言葉のなかには、みなさんの気に障るものがいくつかあるでしょうけど、「統合失調症のひとには病識がない」というあの有名な言い草は、その最たるものではないでしょうか。
(精神)医学がひとに「病識がない」と言うその醜悪さに、身体がワナワナと震えるくらい、みなさんは怒りを覚えるのではないでしょうか。
今回は、その怒りがいかに的確か、確認します。
さっそく、健康とは何か、病気とは何かを考察するところからはじめますね。
(精神)医学は健康とは何か、また病気とは何かということを、みなさんとはまったく別様に定義づけてきました。
ほら、健康とは「健やかに康らかに」と書きますね。ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない」ということを表現するものではありませんか。
いっぽう病気とは「気を病む」と書きますね。「気を病む」とは苦しむということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということを、その苦しみが手に負えないようなときに表現するものではありませんか。
いま、みなさんがふだんしきりに健康であるとか病気であるとか言うことで争点にするのは、苦しくないか、苦しいか(快いか、苦しいか)である、という旨のことを言いました。
けど(精神)医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言って争点にしてきたのは、そういうことではありませんでした。
そもそも、身体を機械と見なす(精神)医学には、快さや苦しさは、うまく説明のできない訳のわからないものです。だって、機械は、快さや苦しさを感じませんよね?
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快さや苦しさが科学にはうまく説明できないというそのことについては何度も考察しています。
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そんな、快さや苦しさが何であるかを理解できない(精神)医学は、健康を正常であること、病気を異常であること、とそれぞれ勝手に定義づけてやってきました。そしてひとを、正常なものと異常なものとに二分してきました。
そのようにひとを正常なものと異常なものとに二分するというのは、ひとを「理解可能」なものと「理解不可能」なものとに分けることを意味するんだって、以前確認しておきましたよね。
- ひとを正常と判定するというのは、そのひとのことを「理解可能」と認定するということ
- ひとを異常と判定するというのは、そのひとのことを「理解不可能」と認定するということ
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そのことを下の記事で確認しました。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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2021年11月10,11日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.30)はこちら。
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。