*「科学」を定義する第3回
◆関係のすり替え
いま確認しましたように、あんパンは実際のところ、「ただただ無応答で在るもの」なんかではありませんね。言ってみれば、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、逐一答えるものですよね。したがってこう言えるのではないでしょうか。
科学はまず、みなさんが現に見ているあんパンの姿を、みなさんの眼前数十センチメートルのところにあるものでなく、みなさんの心のなかにある映像にすぎないことにする。で、その流れにしたがって、あんパンを実際とは別のものにすり替える。すなわち、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、逐一答えるものから、「ただただ無応答で在るもの」(客観的なもの)にすり替える、って。
いま、「存在」のすり替え作業(俺はこの作業を「存在の客観化」と呼ぶことにしています)を見ましたね。さて、このように存在をすり替えますと、「関係」もまた実際とは別のものにすり替えなければならなくなります。
ここから「関係」のすり替えのほうを見ていきますよ。
いまさっき、あんパンに近寄っている場面をみなさんに想像してもらいながら、あんパンが実は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、逐一答えるものであることを確認しましたよね。そのように答えることによってあんパンは、「他のもの」と関係しているということでしたね。
だけど科学はあんパンを、そうした問いに逐一答えるものとは認めないとのことでしたね。それはどういうことか。あんパンが「他のもの」とどのように関係しているかを、実際どおりには認めないということですよね。
科学はあんパンを「ただただ無応答で在るもの」と考えるとのことでした。そう考えると、あんパンは「他のもの」と無関係であることになりますね? でもさすがに、あんパンを「他のもの」と無関係であると考えることはできませんね? そこで科学は、あんパンと「他のもの」とをあらたにつなぎ直すことになります。
けど、いま確認しましたように科学には、あんパンと「他のもの」との関係を、実際どおりに認めることはできません。
科学には、関係をあらたに作り出すしか手がないわけですよ。
では、どういった関係を科学はあらたに作り出すのか。
くどいですが、もう一度整理してみましょうよ。実際の関係とはどのようなものでしたか。あんパンは、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、逐一答えるという形で、「他のもの」と関係しているとのことでしたよね。そのようにあんパンは、自らのありようを自ら律する形で、「他のもの」と関係しているとのことでしたね。
しかし、くり返し言っていますように科学には、関係を、実際どおり、そのようなものと認めることはできません。したがって、科学にはもう関係をこういったものと考えるしかありませんね。
あんパンは、自らのありようを「他のもの」に律せられる形で、「他のもの」と関係しているのだ、って。
あんパンがそうして自らのありようを「他のもの」に律せられるさい、その「他のもの」によってもちいられるものとして想定されてきたのがまさに科学の言う、力、なのではないでしょうか。
そして、あんパンが自らのありようを、「他のもの」に、力をもちいて律せられるというこの関係を、科学は、因果関係、と呼んできたのではないでしょうか。
ここまで、ふたつのことを確認しましたね。はじめに、みなさんが現に見ているあんパンの姿を、みなさんの心のなかにある映像にすぎないことにしたその流れにしたがって、科学が、「存在」を実際とは別のものにすり替える次第を確認しましたね。ついで、科学が「関係」を、自律的なものから他律的なものにすり替える顛末をちょうどいま確認したところですね。
でも、話がまだ漠然としているような気がしません? 結局それであんパンは、そんなすり替えをする科学にとって、いったいどういったものであることになるのか、イマイチ判然としませんね?
なら、この機会にもっと突きつめて見ておきますか、せっかくですしね。
今回の最初の記事(1/3)はこちら。
前回(第2回)の記事はこちら。
このシリーズ(全5回)の要旨と記事一覧はこちら。