(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

なぜ「ものを捉える=状況を捉える」なのか(2/3)

*医学の言うことはみんな嘘第4回


 じゃあ、今度は、俺がそのあんパンに近寄っている場面をひとつ想像してみてくれますか。


 俺が近寄ると、あんパンはどうなります?


 あんパンの姿は刻一刻と大きくなっていきません? そして、頭の上にまぶされているゴマ粒ひとつひとつが判別できるくらい、姿がくっきりしてきません?


 俺が右から回り込むように近寄っていけば、あんパンは、それまで「見えないありよう」をとって右側面部だったところを、「見えるありよう」に変えて、正面にもってきますよね? 同時に、さっきまで「見えるありよう」をとって正面部分だったところを、「見えないありよう」をした左側面に変えていきながら、ね?


 このようにあんパンは、俺の身体がどこにどのようにあるかに応じて姿を変えますね? つまり、あんパンは、「俺の身体と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、逐一答えますよ、ね?


 さらにあんパンは、俺が近寄るにつれ、電灯の光を浴びてできた光の輪(天使の輪)の位置を刻一刻と変えてもいくじゃないですか。


 そうして、「電灯と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いにも、逐一答えていくじゃないですか。


 以上まとめて言えばこういうことですよ。あんパンは、俺の身体や電灯といった「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか、という問いに、逐一答えるものなんだ、って。


 したがって、いまわかったことからこう考えられますね?

  1. あんパンが今どのようにあるかを知る、とはどういうことか。それは、あんパンが、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、今どう答えているか、知ることである。すなわち、あんパンと他のものとが共に在るありようが、今どんなか知ることである。
  2. あんパンが過去どのようにあったかを把握する、とはどういうことか。それは、あんパンが、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、過去そのときにどう答えていたか、把握することである。すなわち、あんパンと他のものとが共に在るありようが、過去そのときにどんなだったか把握することである。
  3. あんパンが将来どのようにあるかを予想する、とはどういうことか。それは、あんパンが、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、将来のそのときにどう答えているか、予想することである。すなわち、あんパンと他のものとが共に在るありようが、将来のそのときにどんなであるか予想することである。


 いま言ったことを短くして言い直すとこうなりますね。

  1. あんパンが今どのようにあるかを知る、とは、あんパンと他のものとが共に在るありようが、今どんなか知ることである。
  2. あんパンが過去どのようにあったかを把握する、とは、あんパンと他のものとが共に在るありようが、過去そのときにどんなだったか、把握することである。
  3. あんパンが将来どのようにあるかを予想する、とは、あんパンと他のものとが共に在るありようが、将来のそのときにどんなか、予想することである。


 いま1から3までのなかにこういう言いかたが出てきたじゃないですか。あんパンと他のものとが共に在るありよう、って。それって、みなさんがふだん使うもっと簡単なひと言で言い換えると何になると思います?


 あんパンと他のものとが共に在るありよう、ですよ?


 それってみなさんの馴染みのひと言で言えば、状況、になりません?


 いや、あんパンと他のものとが共に在るありようは、状況、になりますよね?


 だとすれば、さっきの3つはさらにこう言い改められるじゃないですか。

  1. あんパンが今どのようにあるかを知る、とは、状況が今どんなか、知ることである。
  2. あんパンが過去どのようにあったかを把握する、とは、状況が過去そのときにどんなだったか、把握することである。
  3. あんパンが将来どのようにあるかを予想する、とは、状況が将来のそのときにどんなか、予想することである。


 で、この3つをひとつにまとめて言えば、こうなりません?


あんパンを捉える(知る・把握する・予想する)」とは、「状況を捉えるということである、って?


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