*身体をキカイ扱いする者の正体は第17回
精神医学は患者を精神に異常があるものとして理解しようとします。しかしそれはむしろ患者のことを理解するのをはなっから拒否することです。
そう申し上げる俺はいまみなさんと、統合失調症と診断されたひとのことを、「そのひとの身になって考え」ています。すなわち、そのひとのことを、いわゆる健常者(精神医学に正常であると判定されるひとたち)を理解しようとするときのように理解しようとしています。果して、それでそのひとのことが一転、理解できるようになるでしょうか。
ある青年のことを「その青年の身になって考えている」ところでした。先に引用した文章を再度引用します。
統合失調症を発症したある青年は、入院させられてからも、自分が病院にいるということを受け入れようとせず、「芝居はもう止めてください」「これは、ドッキリカメラか何かでしょう?」と言い、これが現実だとは、なかなか認めようとしなかった。
彼は入院する十日ほど前から、自分を見る周囲の目が変わったと感じ、それを自分の才能に世間が注目していると解釈した。「どこに行っても、見られているんですよ。たぶんテレビ局のスカウトだと思います」(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2016年、91ページ、2010年)。
この引用文のなかほど、「彼は入院する十日ほど前から、自分を見る周囲の目が変わったと感じ、それを自分の才能に世間が注目していると解釈した」という部分以降についてはまだ見ていませんでした。「どこに行っても、見られているんですよ。たぶんテレビ局のスカウトだと思います」と青年は言うとのことでした。
みなさんは青年のこの解釈や発言については、「青年の身になって」つぎのようにお考えになっているのではないでしょうか。
「青年は入院する十日ほどまえから、自分が注目を集めるようになったと言う。それが青年の思い過ごしではないとまず仮定して考えてみたい。入院十日まえから青年がひとなかで、ひと目をひくようなことを実際にし出したということはなかっただろうか。
「たとえば、着て出る服装や髪型がひと目をひくものになって、みんながつい見るようになったとか。あるいは大きな声で独り言を口にしながらひとなかを歩くようになったとか、ニヤニヤしながら歩くようになったとかということでも、青年はひとの注目を集めることになっただろう。もしくは青年がその頃からひとをジロジロ見るようになったということはなかっただろうか。もしあったなら、当然青年は逆にひとから見られるようになったにちがいない。また、考えごとでもしながら上の空でひとなかを歩くようになって、いまにもひとにぶつかりそうな青年を多くのひとが奇異の目で見るようになったという可能性も考えられる気がするが、どうだろうか。
「他にも青年が急に注目を集めるようになった可能性はいろいろ考えられるだろうけれども、とにかくこのように青年の身なりもしくは言動が入院十日まえから実際にひと目をひくものになったとまずは仮定してみる。
「ところが当の青年には、自分はひと目をひくような身なりもしていないし、言動もとっていないという自信があった。そして青年はその自信にもとづいて現実をこんなふうに解した。『おかしい、どうして急にみんな僕を見るようになったのだろう。そうなった理由がわからない。いや、待てよ。あ、そうか、わかったぞ。どうやら僕には才能があるらしい。それでどこに行ってもひとが見てくるのだな』」
いまみなさんが想像をたくましくして「青年の身になってお考え」になったところを箇条書きでまとめますと、こうなります。
- ① どこに行ってもひとが見てくるという現実に青年は直面する。
- ② 青年には、僕はひと目をひくような身なりもしていないし、言動もとっていないというゆるぎない自信がある。
- ③ 青年はその自信にもとづいて現実を解釈する。「だとすると、僕には才能があって、それでどこに行ってもひとが見てくるようになったということか」。
第16回前半の記事はこちら。
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