(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

マルカム・ブラッドベリ『超哲学者マンソンジュ氏』

 マルカムに先をこされた。それがこの著『超哲学者マンソンジュ氏』についての私の偽らざる感想である。

超哲学者マンソンジュ氏 (平凡社ライブラリー)

超哲学者マンソンジュ氏 (平凡社ライブラリー)

 


 しかし、私は彼への熱烈な拍手を惜しむものではない。


 長きにわたって、ひとつの研究対象にたいし失わずもちつづけた彼の情熱、おおくの困難を辛抱づよくひとつひとつ乗りこえてきたその根気、そして、埋もれた知を象牙の塔のなかで独占しようとするのではなく、ひろく社会でわかちあおうとするその開かれた精神に、私はこころから、こころの底から、敬意を表したいと思う。


 ブラボー、マルカム・ブラッドベリ! 私の最強のライバルにして、おなじ研究対象に生きる喜びをともに見出し、ともに人生を犠牲にしてきたわが同志、マルカム・ブラッドベリよ!!


 私が先ほどから言っている、私たちの「研究対象」とは、長らく存在が疑問視されてきたフランスの哲学者、マンソンジュ氏のことである。たしかに、マンソンジュなる哲学者が存在しない可能性は依然、否定できない。だが、マルカムのこの著『超哲学者マンソンジュ氏』がひろく世に出まわった今となっては、マンソンジュ氏の存在を頭から否定するのはもはや滑稽だろう。


 アンリ・マンソンジュは、20世紀を席巻した「構造主義」にいち早く引導をわたしたナゾの哲学者である。生年すら明らかになっていない。彼が、「脱構築」をも「脱構築」するという徹底した脱構築ぶりで構造主義の終焉を告げた著書『文化行為としての性交』*1も、長らく日の目を見ないままだった(当時の私たちは、構造主義の終焉がマンソンジュによって早々に告げられていたにもかかわらず、それに気づかないで、迂闊にも構造主義にうつつを抜かしていたと言えよう)。


 このたび、その伝説の著をひろく象牙の塔の外に紹介し、マンソンジュの存在をより確証づけたのが、わが同志、マルカム・ブラッドベリの『超哲学者マンソンジュ氏』であるという次第だ。


 それにしても、『超哲学者マンソンジュ氏』は感慨ぶかい一冊である。なにせ、今から数十年前、私が卒業論文でとりあげようとしたのが、この哲学者マンソンジュなのだった。


 当時の指導教官は、マンソンジュをとりあげようとする私に、首を縦にはふらなかったが。マンソンジュの存在が証明されていないのがその大きな理由のひとつだった。そして私はこのことをきっかけに、急カーブを曲がる暴走車のように、今の私へ急速に近づいていくこととなった。つまり、それまでゼミの女子学生たちのなかに混じって一緒に甘味を満面の笑みで楽しんでいたストライプ・シャツのにあう私は、以後、ステテコやパッチ姿でニヤニヤと近所をうろつくアルコールにおぼれた無頼へと、変わっていったのである。


 それでも、落ちぶれた私の胸のうちにはずっとマンソンジュがいた。バーで飲んでいるときの私も、競馬場で馬の姿を目で追っているときの私も、他人から見ればいつもひとりぼっちだったに違いないが、私は決して、ひとから見えるようには、ひとりっきりではなかった。


 私は私なりにマンソンジュを追っていた。新聞や雑誌の紙面に「マンション」とあると、その字面にビクッと反応するほどだった。もちろん、『超哲学者マンソンジュ氏』に出てくる『マンソンジュ・ニューズレター』も、出たばかりのころから密かに定期購読していた。まったくの異国の地で、私とおなじようにマンソンジュに人生を捧げている連中がいることを、そうして早くからつかんでいた。


 そのなかで私がもっともライバル視していたひとりが、このマルカム・ブラッドベリである。そうだ、私はひとりぼっちではなかった。つねにマンソンジュ、そしてマルカム・ブラッドベリとともにあった!


 ちなみに、最後にひと言つけ加えておくと、マルカム・ブラッドベリイースト・アングリア大学アメリカ文化研究の権威でもあって、海外でもっとも有名な日本の小説家、カズオ・イシグロを同大学でコーチしたこともあったそうである*2

(了)


2018年8月16日に一部書き直しました。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

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わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

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*1:クスクス出版局から1965年あるいは66年に出版されたと言われているが、詳細は不明。

*2:上記の文章はまったくのフィクションです。フィクションである理由は、マルカム・ブラッドベリ小説『超哲学者マンソンジュ氏』をお読みになるとわかります。