*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.13
目次
・場面1:中学生時代(幻聴)
・自分しか知らないことをみんなが知っている
・同級生、家族、近所からの悪口
◆場面1:中学生時代(幻聴)
この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。
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そのときの記事をいちおう挙げておきますね。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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そしてそれは、この世に「理解不可能」なひとなどただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたね。
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そのことを確認したときの記事もいちおう載せておきますよ。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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だけど、医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。
たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、つぎのように、「永久に解くことのできぬ謎」だとか「了解不能」だとかと言ってきました。
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、p.30、ただしゴシック化は引用者による)。
最近はずっと、統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちに実際に登場してもらい、そのひとたちがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認しています。
今回もまたそうしますよ。今回はCさんに登場してもらい、Cさん本人による当事者研究の成果から勉強させてもらいますね。
2021年9月3,4日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.12)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。