(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

医学の名のもと差別されるのは誰か、をもっと簡単な仕方で確認する(1/4)【短編NO.3の補足】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.59

目次
・まずひとを、標準、優、劣、に分ける
・正常か異常かを決める基準はどこから来るか
・いっぽうの不合致はあがめ、もういっぽうの不合致は問題視する


 この短編集「統合失調症と精神医学と差別」のなかで以前に確認したつぎの5つの基本事項を、そのときに用いたのとは別の、もっと簡単なやり方で、順に再確認しているところです。


 ここまで、つぎの1と2を、イメージというものに着目する仕方で再確認しました。今回は3を見ますね。

  1. 正常、異常とは何か(短編NO.1)。
  2. 異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない(短編NO.2)。 
  3. 医学の名のもと不当にも異常と決めつけられ、差別されるのは、誰か(短編NO.3)。
  4. 障害、障がい、障碍、はどれもみな差別用語である(短編NO.4)。
  5. この世に「理解不可能」なひとなどひとりたりとも存在し得ない(短編NO.6)。


 シツコクくり返し言っていますように、(精神)医学は健康を正常であること、病気を異常であることと定義づけてやってきました。でも、異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない(前掲2)ということでしたよね。言うなれば、ひとはみな正常なんだ、って。

 

 

 にもかかわらず、(精神)医学は一部のひとたちを異常と判定し、○○病だとか、◇◇障害だとか、△△疾患に罹患しているだとかと表現してきました。そうして、ほんとうは他のみんなとおなじく正常であるそのひとたちを不当にも異常と決めつけ差別してきた、ということでした。


 では、いまから、その差別されてきた一部のひとたちとはいったい誰なのか、イメージに着目するあらたな、簡単な仕方で見ていきます。






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*前回の短編(短編NO.57)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

異常なひとはこの世にただのひとりも存在しないということを、もっと簡単な仕方で確認する(4/4)【短編NO.2の補足】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.58


 これまで(精神)医学は、健康を正常であること、病気を異常であることと定義づけ、ひとを正常と異常に二分してきました。でも、いま、イメージに着目するあたらしい簡単な仕方で再確認しましたように、異常なひとはこの世にただのひとりたりとも存在し得ません。ひとはみな正常です。


 つまり、これまで(精神)医学に異常と判定され、そのことを○○病だとか◇◇障害だとか△△疾患に罹患しているだとかと表現されてきたひとたちはみなほんとうは正常だったということです。


(精神)医学は、ほんとうなら他のひとたちみんなとおなじく正常と判定されてしかるべきだったそのひとたちを、不当にも異常と決めつけ差別してきたんだ、って。


 では、いったい誰がそうした差別を(精神)医学の名のもと受けてきたのか(冒頭に挙げた番号3)。次回はそのことを、今回同様、イメージに着目する簡単な仕方で再確認します。

 

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「異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない」というこのことを、短編No.2ではつぎのような仕方で確認しました。

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2023年7月3日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.56)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

異常なひとはこの世にただのひとりも存在しないということを、もっと簡単な仕方で確認する(3/4)【短編NO.2の補足】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.58


◆異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない

 いま、冷蔵庫のなかのプリンが無くなっていると訴え、泣いているZさんを例につぎのことを確認しました。


 Zさんがそのように泣いているのが、ひとというものに対してこちらがもっている「ひとはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないときは、誰しもつい、そのイメージに合致していないことをもって、Zさんを問題有りと考え、Zさんを異常と判定してしまいがちである。が、しかし、そのときほんとうにしなければならないのは、そんな、こちらの頭のなかのイメージに合致していないことをもって、Zさんを問題有りと考えるようなこと、つまり、Zさんを異常と判定するようなことなんかでは、決してない。


 そのときにこちらが頭のなかにもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージを、そのように泣いているZさんのありようとも合致するものとなるよう修正すること、豊かにすることこそ、そのとき真に為すべきことである。


 そうして、Zさんのそのありようをも「正常」と見られるようになることこそが、そのときほんとうにしなければならないことなのである、って。


 ひとの実際のありようが、ひとというものに対してこちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していれば、その合致していることをもって、そのひとを問題無しと考え、正常とでも何でも表現すればいい。では、反対に、そうしたイメージに合致していないときは、どうすればいいか。それをいま、確認したという次第です。


 そのときは、その頭のなかのイメージのほうを、そのひとのその実際のありようとも合致するものとなるよう、修正し、すなわち豊かにし、そのひとのそのありようをも正常と判定できるようになるのが正解だ、って。


 したがって、この考察からすると、異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ないということになりますね。


 言うなれば、ひとはみな正常である、ということに、ね?






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2023年11月20日に文章を一部修正しました(内容はまったく変わっていません)。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.56)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

異常なひとはこの世にただのひとりも存在しないということを、もっと簡単な仕方で確認する(2/4)【短編NO.2の補足】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.58


◆現実がイメージに合致していないときにみなさんが本当にすべきこと

 みなさん、いきなりですが、いまZさんが泣いているものとひとつ想像してみてくれますか。お風呂上がりに食べようと冷蔵庫のなかに入れておいたプリンが無くなっていると訴えて、って。


 Zさんがそんなふうに泣いていることが、ひとというものに対してみなさんがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していれば、みなさんは、そのイメージに合致していることをもって、Zさんを問題無しと考える、すなわち正常と判定しますよね?


 反対に、Zさんがそんなふうに泣いていることが、ひとというものに対してみなさんがもっている、頭のなかの「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していなければ、みなさんはそのイメージに合致していないことをもって、Zさんを問題有りと考える、すなわち異常と判定する、ということですね?


 でも、Zさんのその実際のありようがみなさんの頭のなかにあるひととはコレコレこういうものだというイメージに合致していない(後者の例)というのは、そもそも、いったいどういうことでしょうね?


 どうですか、みなさん? それは、そのときみなさんが、ひとというものに対してもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージが未熟であるということを意味しているのではありませんか。


 ほんとうなら、そのイメージはひとの実際のありようすべてと合致するものでなければならないのではありませんか。


 要するに、こうしたときに本当にすべきことは何かというと、それは、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージを、そのひとの実際のありようとも合致するものとなるよう修正する(豊かにする)ことではないか、ということです。そのイメージを修正し(豊かにし)、そのひとの実際のありようをも正常と判定できるようになることではないか、って。


 いや、まさにそうですよね?


 そのように現実のありように照らしてイメージを修正し、育てていく(豊かにしていく)ことこそが、学び、ではありませんか?






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2023年11月20日に文章を一部修正しました(内容はまったく変わっていません)。


*前回の短編(短編NO.56)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

異常なひとはこの世にただのひとりも存在しないということを、もっと簡単な仕方で確認する(1/4)【短編NO.2の補足】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.58

目次
・ひとを正常もしくは異常と判定するとはどうすることだったか
・現実がイメージに合致していないときにみなさんが本当にすべきこと
・異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない


◆ひとを正常もしくは異常と判定するとはどうすることだったか

 この短編集「統合失調症と精神医学と差別」のなかで以前に確認したつぎの5つの基本事項を、そのときにもちいたのとは別の、もっと簡単なやり方で、順に再確認しようとしているところです。


 今回はつぎの2番を見ますよ。

  1. 正常、異常とは何か(短編NO.1)。
  2. 異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない(短編NO.2)。
  3. 医学の名のもと不当にも異常と決めつけられ、差別されるのは、誰か(短編NO.3)。
  4. 障害、障がい、障碍、はどれもみな差別用語である(短編NO.4)。
  5. この世に「理解不可能」なひとなどひとりたりとも存在し得ない(短編NO.6)。


 前回の短編では前掲1を、イメージに着目する非常に簡単な、あたらしい仕方で再確認しました。まずそれを復習しておきましょうか。こういうことでしたね。


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、こちらが、ひとというものに対してもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
  • ②そのイメージに合致していることをもって、そのひとを問題無しと考えるということ、


 かたやひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、こちらが頭のなかにもっているその「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②そのイメージに合致していないことをもって、そのひとを問題有りと考えること、


 である、って。


 では本題に入りましょう。






         (1/4) (→2/4へ進む

 

 




2023年7月3日に文章を一部修正しました。また2023年11月20日にも文章を一部修正しました(内容はまったく変わっていません)。


*前回の短編(短編NO.56)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

正常と異常のそれぞれの意味を、もっと簡単な仕方で確認する(4/4)【短編NO.1の補足】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.57


 すなわち、ひとを正常と判定するというのは、そのひとの実際のありようを、こちらがひとというものにたいしてもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、そのイメージに合致していることをもって、そのひとを問題無しと考えるということであるいっぽう、ひとを異常と判定するというのは、そのひとの実際のありようを、こちらの頭のなかにあるその「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、そのイメージに合致していないことをもって、そのひとを問題有りと考えるということだ、って。


 ここもまた箇条書きにしてまとめるとこうなります。


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、こちらがひとというものにたいしてもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージ(ひとについての定義)に合致していると見、
  • ②その合致していることをもって、そのひとを問題無しと考えるということ、


 かたやひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、こちらがひとというものにたいしてもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②その合致していないことをもって、そのひとを問題有りと考えること。


 今回冒頭でこう宣言しました。この短編集「統合失調症と精神医学と差別」のなかで、正常、異常について最初に確認した5つの基本事項(詳しくは冒頭を参照されたし)を、別の、もっと簡単なやり方で再確認していきます、って。


 今回はそのなかの「正常とは何か、異常とは何か」を、イメージに着目するあらたな仕方で再確認しました。次回は、イメージに着目するこの簡単な仕方で「異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない」ということを再確認します。

 

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「正常とは何か、異常とは何か」というこのことを、短編No.1ではつぎのような仕方で確認しました。

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3/4に戻る←) (4/4) (→次回短編へ進む

 

 




2023年11月20日に文章を一部修正しました(内容はまったく変わっていません)。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.55)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

正常と異常のそれぞれの意味を、もっと簡単な仕方で確認する(3/4)【短編NO.1の補足】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.57


◆イメージに合致していないことをもって、問題有りと考える

 だとすると、そこからもうすこし突っ込んで、正常、異常とはこういうことだと言えるのではありませんか。


 掃除機を正常と判定するというのは、その掃除機の実際のありようを、みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに、合致していると見、そのイメージに合致していることをもって、その掃除機を問題無しと考えるということだ、って。


 いっぽう、掃除機を異常と判定するというのは、その掃除機の実際のありようを、みなさんが頭のなかにもっているその「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに、合致していないと見、そのイメージに合致していないことをもって、問題有りと考えることだ、って。


 箇条書きにしてまとめると、こういうことです。


 掃除機を正常と判定するというのは、

  • ①その掃除機の実際のありようを、みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
  • ②その合致していることをもって、問題無しと考えるということ、


 かたや掃除機を異常と判定するというのは、

  • ①その掃除機の実際のありようを、みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②その合致していないことをもって、問題有りと考えること。


 いま機械について見ましたけど、気象についてはどうですか。最近、「異常」気象という言葉を口にするひと、多いですね。連日の夏の猛暑を「異常」気象と言うとき、ひとはどんなものの見方をしているとみなさんは思いますか。


 いまの機械の場合とおなじではありませんか。昨今の夏の気象を異常と判定するというのは、昨今の夏の気象のありようを、そのひとが(夏の)気象にたいしてもっている「(夏の)気象とはコレコレこういうものだ」というイメージ(気象についての定義)に、合致していないと見、その頭のなかのイメージに合致していないことをもって、昨今の夏の気象を、問題有りと考えるということ、ではありませんか。


 なら、ひとについて正常であるとか異常であるとか言うのも当然これとおなじと考えられますね?






2/4に戻る←) (3/4) (→4/4へ進む

 

 




2023年11月20日に文章を一部修正しました(内容はまったく変わっていません)。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.55)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。