(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

理解不可能(了解不能)な人間がこの世に存在しないことを確認する(4/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.6


◆結論(理解不可能な人間はこの世に存在し得ない)

(精神)医学は、健康を正常であること、病気を異常であることと定義づけてやってきたということでしたよね。そうしてひとを、正常なものと、異常なものとに二分してきたんだ、って。


 でも、以前にこういうことを確認したの、みなさん、覚えてません?


 実は、異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ないんだ、って言うなれば、ひとはみな正常なんだ、って。

 

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そのことを確認したのは「短編NO.2」ででしたよ(参考記事)。

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 以前に確認したそのことに、いまさっき得た結論1と2を考え合わせてみてくださいよ。するとどうなります?


異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない」というのは、「理解不可能なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない」ということになりませんか。


 かたや、「ひとはみな正常である」というのは、「ひとはみな理解可能である」ということになりませんか。


 いま最後にわかったことを復唱しますね。

  • 「理解不可能」なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない。
  • ひとはみな「理解可能」である。


 今回は、「理解不可能」なひとはこの世にただのひとりも存在し得ないということを確認しました。ひとはみな「理解可能」であるということでしたね。


 にもかかわらず、(精神)医学が一部のひとたちを不当にも、「理解不可能であるということにして差別してきたということも、今回、同時に明らかになりましたね。





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*今回のものより、もっと簡単な方法で、「理解不可能な人間はこの世に存在し得ない」というこのことを、後日、確認した回はこちら。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.5)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

理解不可能(了解不能)な人間がこの世に存在しないことを確認する(3/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.6


◆正常、異常の意味を突きつめる

 さあ、いま獲得しましたふたつの等式については、あとでまた持ち出すこととして、つぎは、正常、異常という言葉の意味をすこし掘り下げてみることにしましょうか。


(精神)医学は、健康を正常であること、病気を異常であることと定義づけてやってきましたよね。そうして、ひとを正常なものと異常なものとに二分してきましたよね。

 

正常と病理 (叢書・ウニベルシタス)

正常と病理 (叢書・ウニベルシタス)

 

 

 そのようにひとを、正常もしくは異常と判定するというのは何をどうすることだったか、みなさん、覚えていますか。

 

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そのことは「短編NO.1」で確認しましたよ(参考記事)

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 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとを、「(ひとの)作り手の定めたとおりになっている」と見、
  • ②その「作り手の定めたとおりになっている」ことを問題無しとすること、


 いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとを、「作り手の定めたとおりになっていない」と見、
  • ②その「作り手の定めたとおりになっていない」ことを問題視すること、


 であるとのことでしたよね。


 この「作り手の定めたとおりになっている」とか「なっていない」とかいうことについて、いまからすこし見ていきますよ。


 この「作り手の定めたとおりになっている」「作り手の定めたとおりになっていない」というのは、つぎのように言い換えられるとみなさん、思いません?


 理に叶っている理に叶っていない、に。


 だって、「作り手の定めたとおり」にならないだなんて、道理に合わないこと(おかしなこと、理に叶っていないこと)ではありませんか。ほんとうに「定めた」のなら、かならず、その「定めたとおり」になるというのが、ものの道ではありませんか。 


 いま、「作り手の定めたとおりになっている」「なっていない」というのは、「理に叶っている」「理に叶っていない」と言い換えられると言いましたね。なら、先ほど復習した、正常と異常についてはこう言えるようになりません?


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとのことを「理に叶っている」と見、
  • ②その「理に叶っている」ことを問題無しとすること、


 いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとのことを「理に叶っていない」と見、
  • ②その「理に叶っていない」ことを問題視すること、


 である、って。


 ではここで、最初に獲得したふたつの等式を思い出してみるとしましょうか。そのふたつはそれぞれこういう等式でしたね。再掲しますよ。

  • 等式A:ひとを「理解可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っている」と認定する。
  • 等式B:ひとを「理解不可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っていない」と認定する。


 このふたつの等式AとBを、ちょうどいま確認しましたところに当てはめてみてくれますか。


 するとどうなります?


 こうなりません?


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとを「理解可能」と認定し、
  • ②その「理解可能」であることを問題無しとすること、


 いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとを「理解不可能」と認定し、
  • ②その「理解不可能」であることを問題視すること、


 である、って。


 よって、こう言えることになりませんか。

  • 結論1:ひとを正常と判定するというのは、そのひとを「理解可能」と認定するということ、
  • 結論2:ひとを異常と判定するというのは、そのひとを「理解不可能」と認定するということ、


 である、って。


 もうここまでくれば、あとひと息です。





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2020年1月25日に文章を一部、削除・修正しました。


*今回のものより、もっと簡単な方法で、「理解不可能な人間はこの世に存在し得ない」というこのことを、後日、確認した回はこちら。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.5)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

理解不可能(了解不能)な人間がこの世に存在しないことを確認する(2/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.6


◆理解することの意味

 早速はじめましょう。


 誰かが笑っているものとまずみなさん、想像してみてくれますか。当初みなさんにはそのひとのことが理解できないと仮定しますよ。「可笑しいことなんて何もないのに、アイツ、何を笑っているのだろう。理解不可能だ」とみなさん、思っているとしますね。


 では、そのように笑っているのを理解不可能と見る、というのは、いったいどういうことなのか、考えてみましょうか。


 どうですか。それは、そのように笑っているのを理に叶っていないと見る、ということではありませんか。


 さて、しばらくして不意にみなさん、気づくとしますね。ちっちゃな子供が遠くのほうから、そのひとに向かって手を振っているのに。


 すると一転、みなさんはこう反省することになるのではありませんか。


「なんだアイツ、とかと思って、悪いことしたなあ」


 みなさんはそのひとのことが理解できるようになったわけですね。つまり、そのひとが笑っているのは理に叶っていると思えるようになったわけですね。


 いま、つぎのふたつの等式を獲得しましたよ。

  • 等式A:ひとを「理解可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っている」と認定する。
  • 等式B:ひとを「理解不可能」と認定する=そのひとのことを「理に叶っていない」と認定する。





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*今回のものより、もっと簡単な方法で、「理解不可能な人間はこの世に存在し得ない」というこのことを、後日、確認した回はこちら。


*前回の短編(短編NO.5)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

理解不可能(了解不能)な人間がこの世に存在しないことを確認する(1/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.6

目次
・この世に「理解不可能」な人間は存在するか
・理解することの意味
・正常、異常の意味を突きつめる
・結論(理解不可能な人間はこの世に存在し得ない)


◆この世に「理解不可能」な人間は存在するか

 みなさんはこの世に理解不可能な人間は存在すると思いますか


 たとえば(精神)医学はそうした人間が存在するとしますよね? 


 でも、ほんとうにそんな人間がこの世に存在すると、みなさん、思います?


 いま俺が手にもっている本、『統合失調症』(PHP新書、2010年)のなかで、著者の岡田尊司精神科医はこの件に関し、こう言っていますよ。

 われわれ人間は、他人の心を直接知ることはできないが、表情や言動、行動の意味するもの、つまり、背後にある感情や意図を推測することができる。その推測が、ときには的外れなことがあっても、もう少し言葉をやり取りしてコミュニケーションを深めることで、より正しい理解に辿り着き、相手が感じていること、相手が意味したことを共有することができる。これを、精神医学者であり哲学者でもあったヤスパースは「了解可能」と呼んだ。われわれは通常、了解可能な世界で暮らしているわけである。


 ところが精神病性の症状が起きているときは、幻聴に対して耳を澄ませたり、応えようと大声を上げたり、幻聴が命じるままに窓から飛び出そうとしたりということが起こる。周囲から見れば、その行動はまったく不可解である。理由を聞いても、聞けば聞くほど不可解な答えが返ってくる


 たとえばある女性は、布団を何枚も重ねて敷き、マスクをして寝た。理由を問うと、「一階に新しい住人が越してきて窓を開けるので、スースーして仕方がない。おまけに、タバコをぷかぷか吸うので、煙くて堪らない」とこぼした。もちろん一階と二階とでは、完全に仕切られているから、階下の住人が窓を開けようがタバコを吸おうが、影響はないはずである。だがその女性には、それがありありと感じられ、苦痛で堪らないのである。


 この女性の感じているものを、通常の常識で納得したり共有したりすることはできないヤスパースは、こうした状態を「了解不能」と呼んだのである。


 このヤスパースの定義は、非常に明快でわかりやすいものに思える。しかし実際にはことはそう単純ではない。たとえば、このケースの女性の行動や言動にしても、もう少し事情を聞くと、いくらか理解できるようになる。この女性は一度、この新しい住人が部屋の窓を開けて、タバコを吸っているところを目撃したことがあった。ところがすぐ上には、女性の布団が干してあって、女性はとても不愉快に思ったのだ。


「了解」できるかできないかは、明らかに情報量に左右されるし、表面的な行動だけで判断するか、内的な体験にまで踏み込むかでも違ってくる。「了解」する気がなければ「意味不明とか支離滅裂の一言で片づけられやすくなる。「了解不能といって片づけてしまうことはある意味実に容易である。「了解不能であるから正気を失っており精神病にかかっていると結論づけてしまえば、それは単なる症状にすぎず、患者が「意味不明」の言動によって何を意味しようとしたのかは、問題にするだけムダということになる。


 しかし、一見、意味不明で不可解に思える言動も、もう少し立ち入って話を聞いたり事情がわかってくると、なるほどと腑に落ちたり、その背後にある気持ちに共感を覚えたりすることは少なくないのである。


 ただ残念ながら、今日の精神医学は、そうした意欲や関心を次第になくしているようだ。精神医学という名前をもちながら、精神に対する関心をなくしているのである。非現実的な言動や行動は病気の症状として捉えられ薬物療法で消し去ることにだけ関心を注ぎがちである。もちろん、薬物療法によって症状を軽減することが重要なのは言うまでもない。幻覚や妄想は、放置すればするほど脳神経系が損傷されてしまうからだ。


 しかし同時に、その人が抱えた症状はただの病気の症状であって無意味であるとみなすことでは、その人が抱えている苦悩や、その症状によって伝えようとしたメッセージは、汲み取られないままに終わってしまう。それは、病気を引き起こしている周囲の問題に目を向ける機会を奪い、あたら再発を繰り返させてしまうことにもなる(同書pp.228-232、ゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 引用がちょっと長くなりすぎましたね。


 ともあれ、岡田精神科医は言っていましたね。(精神)医学は一部のひとたちを「理解不可能」と認定し、精神病と診断するんだって主旨のことを。


 けど、こうも言っていましたね。一見、「理解不可能」と思われるひとたちも、理解しようと努めると、理解されてくることがあるんだ、って。


 みなさん、どう思います?


 (精神)医学が言うように、ほんとうに、「理解不可能」なひとはこの世に存在すると思いますか。


 今回は、(精神)医学のそうした見立てに反し、実は理解不可能なひとなどこの世にただのひとりも存在し得ないということを確認していきますよ。





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2020年3月21日に文章を一部修正しました。


*今回のものより、もっと簡単な方法で、「理解不可能な人間はこの世に存在し得ない」というこのことを、後日、確認する回はこちら。


*前回の短編(短編NO.5)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

「発達障害」を例に、誰が医学に差別されるのか確認する(4/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.5


 今回は医学に不当にも異常と決めつけられて差別されてきたのはそしてされていくのは、「標準より劣っていると医学に思われるひとたちであるということを、広汎性発達障害の診断を例に確認しましたADHDや、学習障害、協調障害、精神遅滞といった他の発達障害についても、今回のと同様の見方ができるかと思われますが、ここでは考察を割愛させてくださいね。

 

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ADHD学習障害、協調障害、精神遅滞なるものについてのわかりやすい説明が以下に載っています。「標準より劣っている」と医学に思われるひとたちが、不当にも異常と決めつけられ、差別されるということを、それぞれの説明を読みながら、確認してもらうことができますよ。

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 まあ、それにしても、みなさん、実に見事だと思いませんでしたか。 


 先の引用文中に挙げられていた①から③のなかの12点はどれもこれも、「標準的なひとより劣っている点」と医学が考えるものばかりでしたよね。でも、冒頭でちらっと触れましたように、みなさんにとって「病気という言葉は、「苦しんでいることを、その苦しみが手に負えないようにときに表現するためのものではありませんか。みなさんが病院の診察室で医師に訴えるのは苦しみ」だし、そのときに要望するのも苦しまないで居てられるようになること」ではありませんか。「苦しまないで居てられるようになる」ための支援や方策をみなさんは求めるのではありませんか。なのに、どうでした? 「病気の特徴として挙げられていたその12点のなかに、「苦しみはただのひとッつも入っていなかったではありませんか。


 みなさんがやれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは「苦しまないで居られているか、苦しんでいるか」(快いか、苦しいか)ですよね。だけど、(精神)医学がしきりにやれ発達障害なんだと言って争点にするのは標準的なひとより劣っているかどうか」なんだということが今回ハッキリしましたね。





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*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*付録:このように「標準より劣っているか、どうか」を争点にする、「アスペルガー症候群」の産みの親が、「優生学」を受け入れたナチスの協力者だったとしても、何ら不思議はありませんよね?

アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源

アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源

 


*前回の短編(短編NO.4)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

「発達障害」を例に、誰が医学に差別されるのか確認する(3/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.5


 さあ、さらに突っ込んで、先の引用のつづきを見ていきましょう。さっきの①から③(ウイング精神科医が提唱したと言う3つの特性のこと)がより詳しく解説されていきますよ。そこに注目してみてくださいね。

 ウイングの3つの特性についてはそれぞれがよりくわしい項目に分かれています。続く項目で、自閉症の診断基準となっている『Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(精神疾患の分類と診断の手引)』にそって、それぞれを説明していきます。


 現在の代表的な自閉障害自閉症)の診断方法は「①②③から合計6つ以上、そのうち②と③から1つずつの項目を含むこと」となっています。それに加えて、「①②③のうちの1つが3歳以前に始まること」とされています。


 アスペルガー症候群の診断基準は「①から2つ以上、そして③から1つ以上の基準を満たすこと」「著(いちじる)しい言葉の遅れや知的障害を伴わないもの」とされています。


 この診断基準による広汎性発達障害に該当する人は1万人あたり数十人、そのうちの半数がアスペルガー症候群高機能自閉症だとされています。


 それでは、3つの特性についてくわしく説明していきます。


診断基準となっている3つの特性

①社会性の障害

  • アイコンタクト表情身振りなど言葉以外を使ったコミュニケーションがうまくできない
  • 発達に応じた仲間関係をつくれない
  • 楽しみや興味あるものを人と分かちあえない
  • 人の気持ちが理解できない


②コミュニケーションの障害

  • 話し言葉の発達の遅れ
  • 人とスムーズに会話を続けられない
  • オウム返しやその子独特な言葉づかいをする
  • その年齢に応じたごっこ遊びやものまね遊びができない


③想像力の障害

  • 特定のものに異常なほど興味や関心がかたよっている
  • 決まった習慣や儀式にかたくなにこだわる
  • 同じ動作を何度もくり返す
  • ものの一部に熱中する

精神科医ローナ・ウイング

娘が自閉症だったことから自閉症スペクトラム障害の研究に携わる。1962年に全英自閉症協会(The National Autistic Society,NAS)の創設に関わり、広汎性発達障害の子どもと家族を支援している。

●Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders

精神疾患の国際的な診断基準とされている手引き書。日本語版は『精神疾患の分類と診断の手引 第4版用修正版』(高橋三郎、大野裕、染矢俊幸訳/医学書院/2006)。


※以下引用者より。

記事タイトル、出典先、著者名、引用先siteなど、どれも前掲とおなじ。ゴシック化も引用者によります。


 ①から③に挙げられていた12項目を全部、みなさん、見てくれました? 「アイコンタクト等を使ったコミュニケーションがうまくできない」(①のひとつ目)とか、「楽しみや興味あるものをひとと分かちあえない」(①の3つ目)とか、「ひととスムーズに会話を続けられない」(②のふたつ目)、「特定のものに興味や関心がかたよっている」(③のひとつ目)といったふうに、社会性や、コミュニケーション能力や、想像力が「標準より劣っていると医学に思われるひとたちが、「発達異常と判定されるということでしたね?


 でも、先ほども言いましたように、異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ません。言うなれば、ひとはみな正常です。


 引用文に挙げられていた12点はどれもこれもみな、ほんとうは正常です。いまさっき列挙した「アイコンタクト等を使ったコミュニケーションがうまくできない」などといったこともそうだし、さらには「話せるようになるのが遅い」こと(②のひとつ目)も、「年齢に応じたごっこ遊びやものまね遊びができない」こと(②の4つ目)も、「同じ動作を何度もくり返す」こと(③の3つ目)もみな、ほんとうは正常です。


 そのようにあることが仮に標準的なひとより劣っているということを意味するのだとしても正常であることに変わりはありません(キレイ事を言っているのではありませんよ。ただ事実を言っているにすぎませんよ)。


 いや、たとえば「アイコンタクト、表情、身振りなど、言葉以外を使ったコミュニケーションがうまくできない」(①のひとつ目)といったように、コミュニケーション能力が「標準より劣っている」と医学に思われるひとたちはたしかに、コミュニケーションについて何らかの特別な練習をしたほうがいいのかもしれませんね(しないでもいいのかもしれませんけど)。「話し言葉の発達が遅い」(②のひとつ目)といったように、発話の発達が「標準より劣っている」と医学に思われるひとたちも、そうですね。発話について何らかの特別練習を受けたほうがいいのかもしれませんね(受けないでもいいのかもしれませんけど)。泳ぎや字のうまくないひとが、水泳や習字の特別練習を受けたほうがいいのかもしれないのとおなじで、ね? だけど、仮にそうした特別練習を受けたほうがいいのだとしてももしくは何らかの支援を必要とするのだとしても、コミュニケーション能力や発話の発達が「標準より劣っている」ことは、やっぱり異常ではありませんね。


 あくまでも正常ですよね?





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*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.4)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

「発達障害」を例に、誰が医学に差別されるのか確認する(2/4)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.5


 先日、双極性障害とか発達障害とかと言うときの「障害」という言葉の意味を確認したの、ちょっと思い出してみてくれますか。そうですね。その「障害」という言葉は、「異常という差別用語の単なる言い換えにすぎないということでしたね。


 つまり、ひとを「発達障害」と診断するというのは、そのひとを「発達異常」と判定するということであるとのことでしたね。

 

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参考:そのことを下記のところで確認しました。


(注)後日、もっと簡単に確認する回はこちら

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 だとすると、そのように「発達異常」と判定されるのは、いったい誰なのか。それは、発達が「標準より劣っていると医学に思われるひとたち(先の3番を思い起こしてくださいよ)です。そのことをいまから、広汎性発達障害自閉症アスペルガー症候群等)についての啓蒙記事をもちいて確かめてみましょう。

広汎性発達障害と診断される基準とは、一体どのようなものなのでしょうか。現在、自閉症その他の診断では、イギリスの精神科医ウイングが提唱した次の3つの特性について当てはまるかどうかを見ていきます。

  • ①対人的相互反応、すなわち社会性の障害(相手の気持ちがわからない、など)
  • ②コミュニケーションの障害(気持ちをうまく伝えられない、など)
  • ③想像力の障害とそれに基づく行動の障害(こだわりが強い、など)


※以下引用者より。

上記引用文についてのデータは下のとおりです。
:「発達障害の診断の基準-発達障害の子どもの特徴」
提供gooヘルスケア
出典:株式会社法研「子どもの発達障害 家族応援ブック」
著者:高貝 就(浜松医科大学、子どものこころの発達研究センター特任准教授)
sitehttps://health.goo.ne.jp/news/22670
最終閲覧日:2018年12月31日(2019年12月16日現在、このページは無くなっています)
ゴシック化:引用者によります。

子どもの発達障害 家族応援ブック

子どもの発達障害 家族応援ブック

 


「相手の気持ちがわからない」。「気持ちをうまく伝えられない」。「こだわりが強い」。そんなふうに社会性やコミュニケーション能力や想像力が標準より劣っていると医学に思われるひとたち、「発達異常」と判定されるということでしたね?


 でも、最初におさらいしておきましたように、異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ません。言うなれば、ひとはみな正常です。「相手の気持ちがわからない」のも、「気持ちをうまく伝えられない」のも、「こだわりが強い」のも、実はみな正常です。


 そのように「相手の気持ちがわからな」かったり、「気持ちをうまく伝えられな」かったり、「こだわりが強」かったりするというのが、「標準的なひとより劣っている」ということを仮に意味するのだとしても、「標準的なひとより劣っているありようもまた正常であることに変わりはありません(キレイ事を言っているのではありませんよ。ただ事実を言っているだけですよ)。


 いま、広汎性発達障害の診断で、「標準より劣っていると医学に思われるひとたちが不当にも異常と決めつけられ差別されているのが確認できましたね?





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*前回の短編(短編NO.4)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。