*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.5
今回は、医学に不当にも異常と決めつけられて差別されてきたのは、そしてされていくのは、「標準より劣っている」と医学に思われるひとたちであるということを、広汎性発達障害の診断を例に確認しました。ADHDや、学習障害、協調障害、精神遅滞といった他の発達障害についても、今回のと同様の見方ができるかと思われますが、ここでは考察を割愛させてくださいね。
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ADHD、学習障害、協調障害、精神遅滞なるものについてのわかりやすい説明が以下に載っています。「標準より劣っている」と医学に思われるひとたちが、不当にも異常と決めつけられ、差別されるということを、それぞれの説明を読みながら、確認してもらうことができますよ。
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まあ、それにしても、みなさん、実に見事だと思いませんでしたか。
先の引用文中に挙げられていた①から③のなかの12点はどれもこれも、「標準的なひとより劣っている点」と医学が考えるものばかりでしたよね。でも、冒頭でちらっと触れましたように、みなさんにとって「病気」という言葉は、「苦しんでいる」ことを、その苦しみが手に負えないようにときに表現するためのものではありませんか。みなさんが病院の診察室で医師に訴えるのは「苦しみ」だし、そのときに要望するのも「苦しまないで居てられるようになること」ではありませんか。「苦しまないで居てられるようになる」ための支援や方策をみなさんは求めるのではありませんか。なのに、どうでした? 「病気」の特徴として挙げられていたその12点のなかに、「苦しみ」はただのひとッつも入っていなかったではありませんか。
みなさんがやれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは「苦しまないで居られているか、苦しんでいるか」(快いか、苦しいか)ですよね。だけど、(精神)医学がしきりに、やれ発達障害だ、なんだと言って争点にするのは「標準的なひとより劣っているか、どうか」なんだということが今回ハッキリしましたね。
*今回の最初の記事(1/4)はこちら。
*付録:このように「標準より劣っているか、どうか」を争点にする、「アスペルガー症候群」の産みの親が、「優生学」を受け入れたナチスの協力者だったとしても、何ら不思議はありませんよね?
*前回の短編(短編NO.4)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。