(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

医学だけが無視するこの世の根本原理について、確認し終える《2/3》

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第3回


◇大木に言えることは「他のもの」にも言える

 いま考えたのは何でしたっけ? 大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるかという問いに逐一答えるってことの意味でしたよね(第二関門)? でもそうした問いに答えるのは大木だけですかね? ちがいますよね? 俺の身体を考えてみてくださいよ。大木に歩みよるというのはまさに俺の身体にとって、「他のもの(大木、太陽、雲、地面、匂い、音、俺の過去体験記憶像や未来体験予想像等)と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えることに他ならないじゃないですか。


 いや、俺の身体だけじゃないですよ。存在はみんなそう。太陽も、雲も、地面も、音も、匂いも、味も、他人の身体もみ〜んなどれもこれもそれぞれ、この問いに逐一答えるものですよね(その論証はみなさんのほうでやっておいてくださいね)。


 俺の過去体験記憶像や未来体験予想像だってそうですよ(つぎのふたつの段落は読み飛ばしてもらってもいいんじゃないかなあ)。


(みなさんの家のお庭にある下の大木に歩みよっている最中でしたね)


 いま大木に歩みよっている最中ですけど(大木えらく遠いなあ……)、こうして大木の姿を目の当たりにしたり、緑の青クサイ匂いを嗅ぐとか、葉々が立てるガサガサという音を聞くとかしたりしているうちに、まえにここに来てこの辺りをみなさんと一緒にブラブラしたときの記憶、不意に鮮明によみがえってきましたよ。ほら、俺の過去体験記憶像(俺が現在記憶している過去体験のこと)は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるって言えるんじゃないですかね? 家で紅茶とマドレーヌを楽しんでいたオジサンが、その香りと味をきっかけに急に昔のことをありありと思い出したときのこと、小説に書いんだって、よく聞くじゃないですか。みなさんにもそのオジサンのとおんなじ体験ありますよね? 見ると昔のことを思い出さずにはいられない絵とか、聴くとかならず過去がよみがえってくる曲とかありません? むかしの恋人が乗っていたのとおなじ色の車を街角で見かけたら、思い出が堰を切ったように街のなかに流れ込んできたって体験、みなさんにもあるんじゃないのかなあ。

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

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 俺の過去体験記憶像が、「他のものと共にあるにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものであるように、俺の未来体験予想像(俺が現在予想している未来体験の像のこと)もそうした問いに逐一答えるって言えるんじゃないですかね。片付けものをしているときにふと手にとった雑誌をめくっているうち、掃除をするって未来図がすっかり消し飛んじゃったりしません? 俺なんかの場合は預金通帳ですかね。そこに印字された残高を見てると、明るい未来がどっか行ったまま、戻ってこなくなっちゃう。


 わかりにくくなっちゃいました


 つい先ほど、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるっていうのがどういうことか確認しましたよね(第二関門)? でも、そうした問いに答えるのは、何も大木だけに限られないってことですよ。俺の身体であれ、太陽であれ、音であれ、匂いであれ、味であれ、俺の過去体験記憶像や俺の未来体験予想像であれ、何であれ、そうした問いに逐一答えることに変わりはないってことですよ。


 だとすれば、ここで何が言えますかね?


 さっき大木に言えたのとおなじことが言えるんじゃないですか


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医学だけが無視するこの世の根本原理について、確認し終える《1/3》

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第3回

目次
・大木を捉えるとは「状況を捉える」ということ
・大木に言えることは「他のもの」にも言える
・存在を捉えるとは「状況を捉える」ということ


◆大木を捉えるとは「状況を捉える」ということ

 なんぴとも無視することのできないこの世の根本原理である状況・最小単位説とは何か。物理学や化学はもとづこうと努力してきたのに、医学だけ無視を決め込んできたその状況・最小単位説とはいったい何なのか。それを確認するための第一関門をいま突破しました


 さっそく第二関門に進みますね。大木は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるってことでしたよね。じゃあつぎはそのことが何を意味しているのか考えてみましょうよ


 俺はこういったことを意味しているんじゃないかと思います。

  1. 大木がどのようにあるかを知るというのは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに今どう答えているかを知ることであり、
  2. 大木が過去どのようにあったかを把握するというのは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに過去そのとき、どう答えていたか把握すること、
  3. また、大木が将来どのようにあるかを予想するというのは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに将来のそのとき、どう答えているか予想することである、


 ってことを意味しているんじゃないのかなって。


 つまり少し言い換えれば、

  1. 大木がどのようにあるかを知るというのは、大木と他のものとが共に在るありようが今どんなかを知ることであり、
  2. 大木が過去どのようにあったかを把握するというのは、大木と他のものとが共に在るありようが過去そのときにどんなだったかを把握すること、
  3. また、大木が将来どのようにあるかを予想するというのは、大木と他のものとが共に在るありようが将来のそのときにどんなかを予想することである、


 ってことを意味しているんじゃないのかなって。


 いま、大木と他のものとが共に在るありようって言い方をしました。その「他のもの」というのは、まえに確認しておきましたよね。太陽や雲や風やといった物のほか、俺の身体や他人の身体、さらには空いた場所、音、匂い、味、俺の過去体験記憶像、俺の未来体験予想像などのことだって。要するに、大木と他のものとが共に在るありようっていうのは、現在の存在たちの姿に、過去体験の像(現在記憶しているもの)と未来体験の像(現在予想しているもの)とを足し合わせたもののことで、これをふだんみなさんは、状況、とよんでいますよ、ね?


 いやいや、絶対にそうよんでいますって。


 だとすれば、さっき言ったことはさらにこう言い改められるんじゃないですかね。

  1. 大木が今どのようにあるかを知るというのは、大木と他のものとが共に在るありよう、すなわち状況(大木を一部分としてうちに含む。以下おなじ)が今どんなかを知ることであり、
  2. 大木が過去どのようにあったかを把握するというのは、状況が過去そのときにどんなだったかを把握すること、
  3. また、大木が将来どのようにあるかを予想するというのは、状況が将来のそのときにどんなかを予想することである、


 って。


 で、これを縮めて言えばこうなるんじゃないのかな。


 大木を捉えるというのは状況を捉えるということである、に。


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歩みよるにつれ、大木が刻一刻と姿を大きく、かつ、くっきりさせていくことは何を意味するか、確認する〈3/3〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第2回


 話のもって行き方、不自然ですかね(まえの頁で書きましたように、いま見てもらっている頁の最後からふたつ目の段落まで読み飛ばしてもらっても全然問題ありませんよ)? でもまあ、そこはみなさんのほうでうまく処理しておいてくださいよ、ね?


 その「他のもののなかに俺の未来体験予想像が含まれるってことの確認も、ですよ? 俺が現にこうして大木に歩みよっているのは、たしかに状況・最小単位説について確認するって約束をみなさんと交わした記憶があればこそです。でも、あの大木の下で寝っ転がりながらみなさんとマッタリお喋りすることを(未来に)予定していなければ、大木の姿はいまみたいに、刻一刻と大きく、かつ、くっきりしていないんじゃないですかね。もし俺が、大木の下で寝っ転がりながらお喋りすることを提案したとき、みなさんが気乗りしないそぶりを見せていたら、俺、即座に別の場所を探し出して、いまごろきっとそっちのほうに向かってましたよ。いま俺の目のまえで大木はこんなふうに、姿を刻一刻と大きく、かつ、くっきりさせてなんかいませんでしたよ。


 大木は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるってことですけど、その「他のもののなかに俺の未来体験予想像も含まれるって考えていいんじゃないですかね?


 ああでも、こんなふうに細かく見ていくとキリ無いなあ。ちょっと疲れちゃいました。いやそれはみなさんのセリフか。みなさんはやくから聞き飽きてたでしょうね。気がとがめますよ。あれ、みなさんちょっと痩せました?……なんて。やっぱり話の持って行き方、まちがえたかなあ。


 いや、いまさらとやかく言っても仕方ないか。


 ともあれ、第一関門を突破しました歩みよるにつれ大木が姿を刻一刻と大きくかつくっきりさせていくというのは何を意味しているのか確認できました。それは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるかという問いに逐一答えるってことを意味しているんだって、確認できましたよね? いや、確認できたことにしておいてくださいよ。ちゃんとした確認はまたみなさんのほうでしっかりやってもらうことにして、ね? 


 で、そろそろ本題に入りましょうよ、ね?


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歩みよるにつれ、大木が刻一刻と姿を大きく、かつ、くっきりさせていくことは何を意味するか、確認する〈2/3〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第2回


 えっと、それで大木の話のつづきですけど、いまみなさんと俺、歩いているじゃないですか。たとえばもしこのとき俺の目のまえにさっと誰か背の高いひとが入ってきたらどうなると思います? 大木は、そのひとに遮られて俺には見えなくなりますね? つまり大木は、そのひとの身体ごしに、姿まるまる全部を「見えないありよう」にしますよね? ほら他人の身体がどこにどのようにあるかによっても大木の姿は変わるじゃないですか


 大木は、「他人の身体と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いにも逐一答えるって付け加えたほうがよくないですか、ね?


 話のもっていき方、強引? う〜ん、頭が痛いなあ。


 でも、頭痛は横に置いておきましょうよ。で、大木についてこれまで確認してきたことは何を意味しているのか今度は考えてみましょうよ


 みなさん、何を意味していると思います?


 俺はこう思います。大木は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものなんだってことを意味しているんじゃないのかな、って。この「他のもののうちには、確認してきましたように、太陽や雲や風やといった物のほか、俺の身体や他人の身体、さらには空いた場所や、音、匂い、味などが入りますよ。


 いや、それだけじゃないな、そこには俺が記憶している過去体験予想している未来体験も含まれるんじゃないかな


◆「他のもの」のなかに入る過去体験記憶像・未来体験記憶像

 考えてもみてくださいよ。


 いま大木に向かって歩いていますよね? どの瞬間でもつぎのふたつのことを同時にしているじゃないですか

  1. これまで大木に向けてどのように歩いてきたか、過去体験を記憶している。
  2. これから大木に向けてどのように歩みよっていくか、未来体験を予想している。


 たとえば、大木に向けて歩き出すまえに遙か前方を見やったときのありさま、俺ずっと忘れず歩いていますし、大木の真下に着いたあと頭上に目の当たりにすることになるだろう景色をずっと予想しながら歩いてもいますよ。


 以後、俺が記憶している過去体験のことを過去体験記憶像、俺が予想している未来体験のことを未来体験予想像とよぶことにしますね。


 大木は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものなんだってさっき言いました。その「他のもののなかには、太陽や雲や風やといった物のほか、俺の身体や他人の身体、さらには空いた場所や、音、匂い、味などに加えて、こうした俺の過去体験記憶像や未来体験予想像も含まれるんじゃないですかね


 ちょっと確認してみますね(以下しばらくのあいだ話がややこしいかと思います次頁の最後まで読み飛ばしてもらっても全然問題ありませんよ)。


 俺、さっきから大木に歩みよっているじゃないですか。終始俺、大木の姿を目の当たりにしていますよね。大木は姿を刻一刻と大きく、かつ、くっきりさせていっていますね。でも、みなさんと最初に約束を交わしたという記憶がなかったら大木の姿はそんなふうに刻一刻と大きくかつくっきりしていなかったんじゃないのかなあ。みなさんと最初に約束したじゃないですか、状況・最小単位説っていうのが何なのか一緒に見ましょうって。俺がそんな約束をした過去体験を記憶していなければ、いまごろ俺の目のまえでは、ブラウン管の向こうでグラウンドを駆け回るベイスボール・プレイヤーの姿が大きくなったり、小さくなったりしていたんじゃないのかなあ。みなさんとそうした約束を交わした過去体験を記憶していればこそ、いま俺の目のまえで、大木の姿は刻一刻と大きく、かつ、くっきりし得ているんじゃないのかなあと俺、思いますけど。


 大木は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答える。その「他のもののなかには俺の過去体験記憶像も含まれるってことでいいですかね?


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歩みよるにつれ、大木が刻一刻と姿を大きく、かつ、くっきりさせていくことは何を意味するか、確認する〈1/3〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第2回

目次
・大木は俺の身体に気を配る
・大木は「他のもの」に気を配る
・「他のもの」のなかに入る過去体験記憶像・未来体験記憶像


◆大木は俺の身体に気を配る

 いま大木に歩みよっているじゃないですか。大木は、俺のほうを向いた面の、上ッ面のみ「見えるありよう」を、それ以外の部分はすべて「見えないありよう」をそれぞれとった姿をしているってことでしたよね。


 俺が歩みよるにつれ大木はその姿を刻一刻と大きくかつくっきりさせていくってことでしたね。


 歩みよっている最中に俺が瞳を閉じると、さらに大木は姿全部を「見えないありよう」に変え、瞳を再度ぱっちり開ければ、俺のほうを向いた面の上ッ面だけ「見えるありよう」にまた変えるじゃないですか。俺が右っ側から周りこむように近寄っていくと、さっきまで「見えないありよう」を呈していた、大木の向かって右側面を徐々に「見えるありよう」に変えていくと同時に、それまで「見えるありよう」を呈していた面をだんだん左っ側に「見えないありよう」に変えて寄せていくじゃないですか、ね?


 まぶしさに弱い俺がサングラスをかければ、大木は姿を薄暗くしますし、俺がサングラスをとれば、再度その姿を明るくしますし、ね?


 俺の身体がどこにどのようにあるかによってこんなふうに大木は姿を変えます。大木のこうしたありようを、哲学も科学もその他ありとあらゆる学問も言葉にはしてきませんでしたけど、俺は積極果敢にこう表現しようと思います。


 大木は、「俺の身体と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものなんだ、って。


 けど、こんな表現で通用しますかね? それとも箸にも棒にも引っかかりませんかね? 正直、俺にはうまく表現できている気があまりしないと言いますか、なんと言いますか......


 みなさんならどう表現します?


 あれ......カラスの鳴き声しか聞こえてこないな...... 


 じゃあ、俺のこの表現でいいですかね? 歩みよるにつれ大木が姿を刻一刻と大きくかつくっきりさせていくというのは大木が、「俺の身体と共に在るにあたってどのようにあるかという問いに逐一答えるってことを意味するんだってので? もっと的確な表現がありましたら、適宜、みなさんのほうで差し替えておいてくださいね?


 でも、大木は俺の身体がどこにどのようにあるかによって姿を変えるだけじゃありませんね


◆大木は「他のもの」に気を配る

 今日、雨の予報出てましたっけ、急にあたりが暗くなりましたよ。あ、でもすぐにまた雲間から顔を出しましたね、太陽、ほら。


 大木は、太陽が雲間にかくれると薄暗い姿を呈し、太陽が再度雲間から顔を出すと、もとの明るい姿にもどったじゃないですか。太陽と雲がどこにどのようにあるかによっても大木の姿は変わりますね。大木は、「太陽や雲と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いにも逐一答えるって言い足したほうがいいんじゃないですかね?


 あ、ちょっと待って、そうだ俺、鍵どこにやったっけ? 急にすみません、突然心配になるタチで……ポッケのなかにないぞ、おかしいな、こっちのポッケにもないな、カバンのなかかな?


 ゴソゴソという音がします。


 だけどそれは、俺がカバンのなかをあさる音じゃありませんね。前方数百メートルのところにある大木の葉という葉が枝ごと風に揺れる音ですよね。いまカバンのなかを覗いている俺には、大木はまるまる全体が「見えないありよう」をとっていますけど、大木はその「見えないありよう」をした姿を、ゴソゴソという音に合わせて揺すっています。風や音がどのようにあるかによっても大木はこのように姿を変えますよね


 大木は、「風や音と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いにも逐一答えるってさらに付け足したら、みなさん、アメリカの人たちみたいに肩をすくめますかね?


 あ、鍵ありました。ちゃんとカバンのなかにありましたよ〜。焦ったぁ〜、いきなりすみません、急に変なこと気になっちゃって……


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医学だけが無視するこの世の根本原理について確認しはじめる(3/3)

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第1回


◆身体とは

 でもそのまえに、そもそも身体とは何かってことですよ


 みなさん、何を身体と考えます?


 ふむふむ、そうですよね。


 いま俺の頭のてっぺんから足の先まで、俺の身体感覚がひと連なりになっていますよね。身体感覚があるそのおなじ場所には、ほら、もあるじゃないかっていまみなさんツブやきました。俺の髪の毛とか、骨とか、皮膚とか、目玉とか、歯とか、内臓とか、血液とか、血管とか、あげていけばキリが無いけど、そういった「身体感覚がひと連なりになって占めているそのおなじ場所を占めているじゃないか、って。何か不思議な気がするけど、「感覚」と「物」というふたつの別ものがおなじ場所を占めているのは抗えない事実なんだ、って。


 俺、この耳でかすかに聞きましたよ? 


 そんなふうにおなじ場所を占めている感覚とをひとつに合わせてみなさんふだん身体とよんでいるってことでイイです、ね?


 そして「感覚」のほうを、身体の感覚とか身体感覚と表現しているってことで? じゃあそれに合わせて「物」のほうは今後、身体の物もしくは身体物とよぶことにします? いや、さすがにその言い方は無いかあ(身体の物って言い方したいけどなあ〜)。なら、身体の物部分ってよぶことにしますか? 「感覚」のほうを身体の感覚部分とよぶことにして?


 身体というのはおなじ場所を占めている身体の感覚部分身体の物部分とを合わせたもののこと、といった表現の仕方でみなさん、ok?


 Uh-huh,じゃあ以後この表現でいきますね。


 さっきこう言いましたよ。大木は、俺のほうを向いた面の、上ッ面のみ「見えるありよう」を、それ以外の部分はすべて「見えないありよう」をそれぞれとった姿でいま(俺にたいし)存在しているが、それとおんなじことが俺の身体にも言えるんじゃないか、って。いま、俺の「身体の感覚部分」が頭のてっぺんからつま先までひと連なりになって占めているのとおんなじ場所を占めている「身体の物部分俺にたいし全部が見えないありようを呈していますよね。だって遙か前方にある大木を遠望しているいま、俺の視野のなかには、俺の身体、入ってないじゃないですか。もし俺が足もとにでも視線を落としていれば、俺の「身体の物部分」は、足もとの、俺のほうを向いた面の、その上ッ面のみ「見えるありよう」を、それ以外の部分はみな「見えないありよう」をそれぞれとった姿をしていたでしょうけど。


 ね、大木も俺の身体も姿は見えるありよう見えないありようからなりますでしょう


 なんの話をしているかわかりにくくなっちゃいましたか? 俺が歩みよるにつれ大木が姿を刻一刻と大きくかつくっきりさせていくというのはどういうことか考察している最中ですよ。なんぴとたりとも無視することのできない状況・最小単位説とは何なのか確認する第一関門を突破しようとしているところです。思い出しましたか。


 じゃあつづけますね。


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医学だけが無視するこの世の根本原理について確認しはじめる(2/3)

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第1回


◆大木の姿をつぶさに観察する

 そうだなあみなさんのお家の庭をこうして一緒に歩きながらお話ししましょうか? いやあ、いい季候ですねえ、こんな庭がうちにもあればなあ。あ、あそこに、あの〜木ぃなんの木、気になる木ぃ〜があるじゃないですか。あの大木の下で芝生のうえに寝っ転がりながらノンビリお話ししません? 気持ち良さそうじゃないですか。


 えっ、言ってみるもんだなあ、じゃあさっそくお言葉に甘えて、あの大木目指しなだらかな斜面をのぼっていくとしましょうか、ね?


 歩みゆくにつれ大木は姿を刻一刻と大きくかつくっきりさせていきますね。大木の実寸が刻一刻と大きくなっていくと言っているんじゃありませんよ? もちろんです。大きくなっていくのはあくまで大木の、姿、ですよね。姿をそのように大きくすることで、大木は終始その実寸を一定に保つわけですよね。もし大木の姿がずっとおんなじ大きさだったら、俺はいま、大木の実寸が刻一刻と小さくなっているのを目の当たりにしていることになるじゃないですかあはは。


 でも、歩みよるにつれ大木が姿を刻一刻と大きくかつくっきりさせていくっていうこのことはいったい何を意味しているんでしょうね


 ここ4年ほど何度もくり返し発してきたこの問いにまず答えることから状況最小単位説に迫ってみるとしましょうか、ね?


 大木目指し、いまみなさんと一緒に歩いているじゃないですか。でも俺にはいま大木の全部が見えているわけじゃありませんね(みなさんにもそうですね)? 俺に見えているのはあくまで大木の、俺のほうを向いた面の、その上ッ面だけですよね。側面も、中身も、背面も、地面の下に伸びている部分も、まったく見えていませんよね。


 ああ大木は一見よく見えているようで、案外そのほとんどが見えていないなあ。


 じゃあ、いま、大木の、俺のほうを向いた面の、現に見えているその上ッ面しか、俺にたいして存在していないってことになりますかね? 見えていない、大木の中身や、側面や、背面や、土の下はこのとき、俺にたいして存在していないことになりますかね?


 いや、大木の中身も、側面も、背面も、土の下も、見えないありようとでも言うべき姿でいま俺のまえに存在していると言ったほうが現実に即しているんじゃないですかね? 大木は、俺のほうを向いた面の、上ッ面のみ見えるありようを、それ以外の部分はすべて「見えないありよう」をそれぞれとった姿でいま俺にたいし存在していると言った方が適切なんじゃないですかね、どうですかね、みなさん?


 さて、大木には見えるありよう見えないありようといったふたつのありようがあるって、いま言いました。けど、これって俺の身体にも言えません?


 確認してみましょうよ。


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