*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第1回
◆大木の姿をつぶさに観察する
そうだなあ、みなさんのお家の庭をこうして一緒に歩きながらお話ししましょうか? いやあ、いい季候ですねえ、こんな庭がうちにもあればなあ。あ、あそこに、あの〜木ぃなんの木、気になる木ぃ〜があるじゃないですか。あの大木の下で芝生のうえに寝っ転がりながらノンビリお話ししません? 気持ち良さそうじゃないですか。
えっ、言ってみるもんだなあ、じゃあさっそくお言葉に甘えて、あの大木目指し、なだらかな斜面をのぼっていくとしましょうか、ね?
歩みゆくにつれ、大木は姿を刻一刻と大きく、かつ、くっきりさせていきますね。大木の実寸が刻一刻と大きくなっていくと言っているんじゃありませんよ? もちろんです。大きくなっていくのはあくまで大木の、姿、ですよね。姿をそのように大きくすることで、大木は終始その実寸を一定に保つわけですよね。もし大木の姿がずっとおんなじ大きさだったら、俺はいま、大木の実寸が刻一刻と小さくなっているのを目の当たりにしていることになるじゃないですかあはは。
でも、歩みよるにつれ、大木が姿を刻一刻と大きく、かつ、くっきりさせていくっていうこのことはいったい何を意味しているんでしょうね?
ここ4年ほど何度もくり返し発してきたこの問いにまず答えることから、状況・最小単位説に迫ってみるとしましょうか、ね?
大木目指し、いまみなさんと一緒に歩いているじゃないですか。でも俺にはいま、大木の全部が見えているわけじゃありませんね(みなさんにもそうですね)? 俺に見えているのはあくまで大木の、俺のほうを向いた面の、その上ッ面だけですよね。側面も、中身も、背面も、地面の下に伸びている部分も、まったく見えていませんよね。
ああ大木は一見よく見えているようで、案外そのほとんどが見えていないなあ。
じゃあ、いま、大木の、俺のほうを向いた面の、現に見えているその上ッ面しか、俺にたいして存在していないってことになりますかね? 見えていない、大木の中身や、側面や、背面や、土の下はこのとき、俺にたいして存在していないことになりますかね?
いや、大木の中身も、側面も、背面も、土の下も、見えないありようとでも言うべき姿でいま俺のまえに存在していると言ったほうが現実に即しているんじゃないですかね? 大木は、俺のほうを向いた面の、上ッ面のみ見えるありようを、それ以外の部分はすべて「見えないありよう」をそれぞれとった姿でいま俺にたいし存在していると言った方が適切なんじゃないですかね、どうですかね、みなさん?
さて、大木には「見えるありよう」と「見えないありよう」といったふたつのありようがあるって、いま言いました。けど、これって俺の身体にも言えません?
確認してみましょうよ。
後日、配信時刻を以下のとおり変更しました。
- 変更前:21:00
- 変更後:21:05
ひとつまえの記事(1/3)はこちら。
このシリーズ(全12回)の記事一覧はこちら。