(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

医学だけが無視するこの世の根本原理について確認しはじめる(3/3)

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第1回


◆身体とは

 でもそのまえに、そもそも身体とは何かってことですよ


 みなさん、何を身体と考えます?


 ふむふむ、そうですよね。


 いま俺の頭のてっぺんから足の先まで、俺の身体感覚がひと連なりになっていますよね。身体感覚があるそのおなじ場所には、ほら、もあるじゃないかっていまみなさんツブやきました。俺の髪の毛とか、骨とか、皮膚とか、目玉とか、歯とか、内臓とか、血液とか、血管とか、あげていけばキリが無いけど、そういった「身体感覚がひと連なりになって占めているそのおなじ場所を占めているじゃないか、って。何か不思議な気がするけど、「感覚」と「物」というふたつの別ものがおなじ場所を占めているのは抗えない事実なんだ、って。


 俺、この耳でかすかに聞きましたよ? 


 そんなふうにおなじ場所を占めている感覚とをひとつに合わせてみなさんふだん身体とよんでいるってことでイイです、ね?


 そして「感覚」のほうを、身体の感覚とか身体感覚と表現しているってことで? じゃあそれに合わせて「物」のほうは今後、身体の物もしくは身体物とよぶことにします? いや、さすがにその言い方は無いかあ(身体の物って言い方したいけどなあ〜)。なら、身体の物部分ってよぶことにしますか? 「感覚」のほうを身体の感覚部分とよぶことにして?


 身体というのはおなじ場所を占めている身体の感覚部分身体の物部分とを合わせたもののこと、といった表現の仕方でみなさん、ok?


 Uh-huh,じゃあ以後この表現でいきますね。


 さっきこう言いましたよ。大木は、俺のほうを向いた面の、上ッ面のみ「見えるありよう」を、それ以外の部分はすべて「見えないありよう」をそれぞれとった姿でいま(俺にたいし)存在しているが、それとおんなじことが俺の身体にも言えるんじゃないか、って。いま、俺の「身体の感覚部分」が頭のてっぺんからつま先までひと連なりになって占めているのとおんなじ場所を占めている「身体の物部分俺にたいし全部が見えないありようを呈していますよね。だって遙か前方にある大木を遠望しているいま、俺の視野のなかには、俺の身体、入ってないじゃないですか。もし俺が足もとにでも視線を落としていれば、俺の「身体の物部分」は、足もとの、俺のほうを向いた面の、その上ッ面のみ「見えるありよう」を、それ以外の部分はみな「見えないありよう」をそれぞれとった姿をしていたでしょうけど。


 ね、大木も俺の身体も姿は見えるありよう見えないありようからなりますでしょう


 なんの話をしているかわかりにくくなっちゃいましたか? 俺が歩みよるにつれ大木が姿を刻一刻と大きくかつくっきりさせていくというのはどういうことか考察している最中ですよ。なんぴとたりとも無視することのできない状況・最小単位説とは何なのか確認する第一関門を突破しようとしているところです。思い出しましたか。


 じゃあつづけますね。


2/3に戻る←) (2/3) (→次回へつづく

 

 

後日、配信時刻を以下のとおり変更しました。

  • 変更前:21:00
  • 変更後:21:10


今回の最初の記事(1/3)はこちら。


このシリーズ(全12回)の記事一覧はこちら。