*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第3回
目次
・大木を捉えるとは「状況を捉える」ということ
・大木に言えることは「他のもの」にも言える
・存在を捉えるとは「状況を捉える」ということ
◆大木を捉えるとは「状況を捉える」ということ
なんぴとも無視することのできないこの世の根本原理である状況・最小単位説とは何か。物理学や化学はもとづこうと努力してきたのに、医学だけ無視を決め込んできたその状況・最小単位説とはいったい何なのか。それを確認するための第一関門をいま突破しました。
さっそく第二関門に進みますね。大木は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるってことでしたよね。じゃあ、つぎは、そのことが何を意味しているのか考えてみましょうよ。
俺はこういったことを意味しているんじゃないかと思います。
- 大木が今どのようにあるかを知るというのは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに今どう答えているかを知ることであり、
- 大木が過去どのようにあったかを把握するというのは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに過去そのとき、どう答えていたか把握すること、
- また、大木が将来どのようにあるかを予想するというのは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに将来のそのとき、どう答えているか予想することである、
ってことを意味しているんじゃないのかなって。
つまり少し言い換えれば、
- 大木が今どのようにあるかを知るというのは、大木と「他のもの」とが共に在るありようが今どんなかを知ることであり、
- 大木が過去どのようにあったかを把握するというのは、大木と「他のもの」とが共に在るありようが過去そのときにどんなだったかを把握すること、
- また、大木が将来どのようにあるかを予想するというのは、大木と「他のもの」とが共に在るありようが将来のそのときにどんなかを予想することである、
ってことを意味しているんじゃないのかなって。
いま、大木と「他のもの」とが共に在るありようって言い方をしました。その「他のもの」というのは、まえに確認しておきましたよね。太陽や雲や風やといった物のほか、俺の身体や他人の身体、さらには空いた場所、音、匂い、味、俺の過去体験記憶像、俺の未来体験予想像などのことだって。要するに、大木と「他のもの」とが共に在るありようっていうのは、現在の存在たちの姿に、過去体験の像(現在記憶しているもの)と未来体験の像(現在予想しているもの)とを足し合わせたもののことで、これをふだんみなさんは、状況、とよんでいますよ、ね?
いやいや、絶対にそうよんでいますって。
だとすれば、さっき言ったことはさらにこう言い改められるんじゃないですかね。
- 大木が今どのようにあるかを知るというのは、大木と「他のもの」とが共に在るありよう、すなわち状況(大木を一部分としてうちに含む。以下おなじ)が今どんなかを知ることであり、
- 大木が過去どのようにあったかを把握するというのは、状況が過去そのときにどんなだったかを把握すること、
- また、大木が将来どのようにあるかを予想するというのは、状況が将来のそのときにどんなかを予想することである、
って。
で、これを縮めて言えばこうなるんじゃないのかな。
大木を捉えるというのは、状況を捉えるということである、に。
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