◆「生存期間を2倍に伸ばしましょうか」という提案を受けたとき考え合わせるものは何か
老人は、こう打ち明けていましたね。
「抗がん剤治療は延命効果だけとなると、意味がないんじゃないか」って。
もたらされるのが「延命効果だけでは」、って。
要するに、当該治療を受けても、治らないのでは意味がない、って。
これはどういう考え方か。
ようく思い出してみてくださいよ。最初にクイズで確認しました。支給期間が2倍に伸びても、年間支給総額が半分未満になったら、結局は損するだけである、って。「期間が2倍に伸びる」ということだけから、その損得を判断することはできないんだ、って。
そのように年間支給総額を考え合わせるのとおなじ考え方を、ここで老人はしているのではないでしょうか。
では、その年間支給総額に相当するのは、この場合、何か。
そうですね、どれだけ(その時々で)苦しんでいるか(or苦しんでいないか)、ですね。
ふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、「苦しくないか、苦しいか」を争点にするみなさんにとって、治るとは「苦しまないで居てられるようになること」でした。ここで老人は、当該抗がん剤治療を受けても、生存期間は伸びるかもしれないが、治りはしない、すなわち、「苦しまないで居てられるようになる」ことはない、と言っているわけですね。仮にそうなっても、それはほんの一時で、すぐ苦しむようになるだろう(「いずれまた悪くなる」という表現をしています)、って。
で、実際にそういうことなら、どうなるか。
*今回の最初の記事(1/8)はこちら。