(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

なぜ医学は、患者が何を「訴え」、何を「要望している」のかイマイチよく理解できないのか。また患者がこうむっている「たいしたことのある」副作用を、なぜ「たいしたことのない」ものと勝手に侮ってしまうのか(1/3)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.1】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.47

目次
・みなさんと医学のあいだに生じた齟齬
・医学による争点のすり替え


◆みなさんと医学のあいだに生じた齟齬

 ここ最近はずっと、みなさんと医学のあいだに生じた齟齬を見ていますよね。その齟齬の生まれ来たった経緯を、今回から、その根源にさかのぼって確認していきます。


 みなさんは四六時中、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」を争点にして生きています。そんなみなさんが病院の診察室で訴えるのは「苦しさ」だし、そこで要望するのも「苦しまないで居てられるようになること」であると以前確認しましたね(短編NO.41)。


 そしてそんなみなさんは、治療を受け、「かえって苦しさが酷くなった」ら、それを「損をしている」ことととる、ということでした(短編NO.43)。で、そのとき、こう考えるということでした。


 当該治療には、そうした損を埋め合わせるほどの生存期間延長効果はあるか。もし、ないなら、その治療を受けるとただ損をするだけに終わる、って。


 ところが、病院の診察室でみなさんがそのように「苦しさ」を訴え、「苦しまないで居てられるようになること」を要望しても、そうした訴えや要望は、素直には医学の胸に届かないということでした。

 

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短編NO.41

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 また或る治療があって、それを受けると、強い副作用が出、かえって苦しさが酷くなって「損をする」ことになるけれども、では、その損を埋め合わせるほど、その治療によって生存期間が伸びるかというと、そういうことも無い、そんな治療失敗の場合でも、医学は、その「副作用」をたいしたことがないものと侮ってきた、とのことでしたね。

 

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短編NO.42〜46

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 でも、なぜ、みなさんと医学のあいだにこんな、あってはならない、おかしな齟齬が生じるのか。


 それは簡単に言うと、こういうことでした。


 ふだんみなさんがやれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって争点にするのは、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」である。そのようにみなさんとおなじく、やれ健康だ、やれ病気だとさかんに言っているとき、医学が「苦しくないか、苦しいか」を争点にできていれば、医学とみなさんのあいだにそうした齟齬が生じる余地はなかった。だけど、みなさんとおなじように、やれ健康だ、やれ病気だとさかんに言ってきながらも、医学が争点にしてきたのは「正常か、異常か」だった。


 実は医学は争点をすり替えていた


 今回から、医学のこの争点のすり替えが起こった経緯を、その根源にさかのぼって確認していきます。






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※2022年10月6日、2023年1月30,31日に文章を一部訂正しました。


*前回の短編(短編NO.46)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。