*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.61
◆①医学を医学たらしめるものは何か
まず、医学を医学たらしめるものについて考えるところから始めますね。
医学をまさに医学たらしめるものは何か。
つまり、医学がおのれの使命とすべきところは何だと、みなさん思いますか?
そう、ひとを治すこと、ですね?
そしてその、治す、とは、病気であったのを健康にする、ということですね。
では、その健康や病気というのがそれぞれ何を意味するか確認することにしましょうか。そうすれば、治る、が何を意味しているか、もっとはっきりしてきますよね。
ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は何を意味するか。
健康とは「健やかに康らかに」と書きますね。ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は「苦しんでいない」ということを意味するものではありませんか。
いっぽう、病気とは「気を病む」と書きますね。「気を病む」とは苦しむということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということと、その苦しみが「手に負えない」ということを意味するものではありませんか。
いま、こういったことを確認しました。みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって争点にするのは、「苦しくないか、苦しいか」である、って。
したがって、みなさんにとって、病気だったのが健康になるというのは、すなわち治るというのは、「苦しまないで居てられるようになること」を意味することになりますよね。
だとすると、みなさんが、医学におのれの使命とするよう求めるのは何か。
一言でいえば、それは、ひとが「苦しまないで居てられるようになる」のを手助けすること、ではありませんか。
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その手助けを、もう少し具体的に考察した短編はこちら。
もっと突っ込んで考察した回はこちら。
そもそも「苦しい」とはどういうことか、を突っ込んで,しかし簡単に説明した回はこちら。
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しかし、医学が実際におのれの使命としてきたのは、そういうことではありませんでした。医学がおのれの使命としてきたのはもっと別のことでした。
*前回の短編(短編NO.60)はこちら。
*このシリーズ(全61短編)の記事一覧はこちら。