*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.38
◆Nさんが争点にしていたのは何か
いま、こう言いました。Nさんは苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」していたが、その声は医師や看護師には届いていなかったのではないか、って。
せっかくですし、この機会に、いま言ったそのことが何を意味するのか、今後のために、ちょっと立ち止まって考察しておきましょう。
そもそも、ふだんのみなさんにとって、健康や病気という言葉は何を意味します?
健康とは「健やかに康らかに」と書きますね? ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、苦しんでいないということを表現するものではありませんか。
いっぽう病気とは、「気を病む」と書きますね? 「気を病む」とは苦しむということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、苦しんでいるということを、その苦しみが手に負えないようなときに表現するものではありませんか。
つまり、みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、苦しくないか、苦しいか(快いか、苦しいか)、ではありませんか。
苦しくないか苦しいか、を争点にするそんなみなさんの姿勢は、もちろん、病院の診察室や病室のなかでも変わらないものと思われます。
みなさんは、病院の診察室や病室で、医師相手に、目が見えにくいとか、息がしにくいとか、気分が鬱々とするとかと言って、苦しさを「訴え」ますね? で、そのとき、目がよく見えるようになりたいとか、息がしやすくなりたいとか、気分が晴れるようになってほしいとかと言って、苦しまないで居てられるようになることを「要望」しますね?
そうして、みなさんは、苦しくないか苦しいか、を診察室や病室でも変わらず、争点にしますよね?
2021年8月16日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/9)はこちら。
*Nさんのこの事例は全6回でお送りしています(今回はpart.6)。
- part.1(短編NO.33)
- part.2(短編NO.34)
- part.3(短編NO.35)
- part.4(短編NO.36)
- part.5(短編NO.37)
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。