*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.38
◆かたや医学が争点にするのは何か
その、苦しくないか苦しいか、を争点にするというのは、Nさんもおなじだったのでないでしょうか。1浪生の11月にはじめてかかった精神科や、2浪生の夏か秋頃に入院することになったふたつ目の精神科で、Nさんは、こうしたことを「訴え」ていたのではなかったでしょうか。
同級生たちの嫌がらせがひどくて勉強が手につかない。
予備校に行っても、嫌がらせをされる。
ひととすれ違いざま、「うぜえ」とか「バカ」とか言われる。
女性の顔のようなものが目のまえに浮かびあがってきて勉強等に集中できない。
死にたい。
そうしてNさんはしきりに、苦しさを「訴え」ると共に、苦しまないで居てられるようになることを「要望」する眼差しを暗に医師に送っていたのではないでしょうか。
だけど、Nさんのそうした「訴え」や「要望」が医師に届くはずはなかった。
というのも、医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にしてきたのは実は、苦しくないか苦しいか、ではなかったわけです。医学が、そう言うことで争点にしてきたのは実は、正常か異常か、だった。医学は、健康とは正常であること、病気とは異常であることと独自に定義づけてやってきました。
ほら、(精神)医学が診察室や病室でする行為にはふたつありますね? ひとつは診断、もうひとつは治療ですね? そのどちらでも、(精神)医学が争点にするのは、正常か異常か、ではありませんか? (精神)医学にとって、診断とは、ひとを正常と異常のどちらに当たるのか見極めることだし、治療もまた、診断で見つかった異常を無くすことを目的とするもの、ですね?
つまり、Nさんの、苦しくないか苦しいか、を争点にする声は、正常か異常か、を争点にする医学に忠実な医師たちの胸のなかには素直には入って行っていなかったのではないか、ということですよ。で、数々の苦しみに苛まれてきていたNさんが夜中、隣の患者のいびきに、とうとう堪忍袋の緒を切らし、大声で怒鳴り出しても、医師にはただ「急に怒り出した」と奇異に感じられただけだったのではないか、ということです。
2021年8月16日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/9)はこちら。
*Nさんのこの事例は全6回でお送りしています(今回はpart.6)。
- part.1(短編NO.33)
- part.2(短編NO.34)
- part.3(短編NO.35)
- part.4(短編NO.36)
- part.5(短編NO.37)
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。