*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41
◆みなさんの「訴え」と「要望」は医学に伝わっているか
さあ、いま、みなさんが病院の診察室や病室で、何を「訴え」、何を「要望」するのか、ふたとおりの仕方で確認しました(ひとつは女性の実例を使って、もうひとつは健康・病気という言葉の意味を考えることで)。みなさんが訴えるのは「苦しさ」であり、またそのときに要望するのは「苦しまないで居てられるようになること」であるとのことでしたね。
では、いまから当初の目的を果たしましょう。みなさんのそうした「訴え」と「要望」がちゃんと医学に伝わっているか、これから見ていきますよ。
いまさっき、こう言いましたよね。みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、苦しくないか苦しいか、だ、って。
だけど医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にしてきたのは、それとはまったく別のことでした。
正常か、異常か、でした。
実に医学は、健康を正常であること、病気を異常であることとそれぞれ独自に定義づけてやってきました。
これはどういうことか。
病院の診察室や病室で、みなさんは、目が見えにくいとか、息がしにくいとか、気分が鬱々とするとかと言って、苦しさを「訴え」ますね。で、そのとき、目がよく見えるようになりたいとか、息がしやすくなりたいとか、気分が晴れるようになってほしいとかと言って、苦しまないで居てられるようになることを「要望」しますね。そうしてみなさん、苦しくないか苦しいか、を争点にしますよね。だけど、そうした「訴え」と「要望」を聞きながらも、そのとき医学が争点にするのは、まったく別のこと、すなわち、正常か異常か、であるということですよ。
医学が為すふたつの行為 診断と治療 で争点になるのは、いま言いましたように、苦しくないか苦しいか、ではなく、正常か異常か、です。「診断」にて医学がするのは、ひとが正常と異常のどちらに当たるか見極めようとすることですし、「治療」にてするのも、診断で見つかったその異常を無くすのを目的とする施術です。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.40)はこちら。
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