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科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

副作用を我慢してでも治療を受けるべきとみなさんが判断するのはどんな時か(2/5)【医学は副作用を侮ってきた? part.2】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.43


◆そもそもみなさんは何を、健康、病気と見るか

 いきなりですが、ふだんのみなさんにとって、健康、病気という言葉がそれぞれ何を意味するか、最初に考えてみてくれますか。


 健康とは、「健やかに康らかに」と書きますね? ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない(快い)」ということを表現するものではありませんか。


 いっぽう病気とは「気を病む」と書きますね? 「気を病む」とは苦しむということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということと、その苦しみが「手に負えない」ということを表現するものではありませんか。


 つまり、言い換えると、こういうことですよ。みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にしているのは「苦しくない(快い)苦しいか」ではないか、って。


 要するに、ふだんのみなさんにとって、治る(病気だったのが健康になる)とは、「苦しまないで居てられるようになること」を意味するのではないか、って。


 さて、いま、みなさんにとって、健康や病気という言葉が何を意味するか考えてもらいました。では、いま病院で息がしにくいという苦しさを訴えたみなさんがある治療を勧められそれを受けたと仮定して、以後、話を進めていくことにしましょうか。


 その治療をみなさんは勧められ、受けた。すると、息がしにくいという当初の「苦しさ」はキレイさっぱり100%消え去ったが、その代わりに、別の「苦しみ」  副作用ですね  をその治療からこうむることになった、としますよ。


 その場合、その治療を受けるというのは、「苦しさ」を交換することだと言うことができますね。当初の、息がしにくいという「苦しみ」と、副作用という別の「苦しみ」とを交換することだ、って。


 したがって、つぎのふたつの場合が考えられますね。

  • A.当初の息がしにくいという「苦しさ」より、副作用(別の苦しさ)のほうが酷い場合、すなわち治療を受けてかえって苦しさが酷くなる場合
  • B.当初の息がしにくいという「苦しさ」より、副作用(別の苦しさ)のほうがマシな場合、すなわち治療を受け苦しさがマシになる場合


 ただし、いま言った、「苦しさ」が酷いとかマシとかという判定は、苦しさの、強度、頻度、期間等を総合的に勘案したうえでの比較評価と考えてくださいよ。


 さあ、これから、このふたつの場合を順にひとつずつ点検していきます。






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*前回の短編(短編NO.42)はこちら。


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