(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学は身体を機械と見なすが、身体が機械であったことは嘗てただの一瞬もないこと(5/5)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.2】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.48


 さて、「左手の物」は、「見えるありよう」と「見えないありよう」とから成るといま表現しました。でも、そのように「見えるありよう」と「見えないありよう」から成るのは、「左手の物」に限られるでしょうか。いや、限られませんね? 「身体の物全体が、そのように「見えるありよう見えないありようから成っていますよね?


「左手の物」が、目を完全につぶった俺のまえで、その姿まるまる全部を「見えないありよう」とするように、「身体の物」が、隅から隅までその全て丸々ひとつを、「見えないありよう」とするときも、ありますね。俺が遠くを見ているときなんかは、そうですね。もしくは目をつぶっているときがそうですね。俺の「身体の物」はそのとき俺にたいして、隅から隅まで全てを「見えないありよう」としますよね。


 けど、イスに座って考え事をしているいまなんかは、俺の「身体の物」は、俺にたいして、胸から下の表面だけは「見えるありよう」をとりますね?


 そういった意味で、「身体の物」は「見えるありよう」と「見えないありよう」とから成っていると言えますね?


 以上、今回は身体が機械ではないことを確認しました。こういうことでした。身体とは、ほぼおなじ場所を占めている、「身体の感覚」と「身体の物」とを合わせたもののことであって、ただの「物」でしかない機械とは違い、そこには「感覚」というものが含まれる、って。


 ちなみに「身体の物」については、その一部を「見えるありよう」、それ以外の全部分を「見えないありよう」としているときもあれば、その姿丸々ひとつをみな「見えないありよう」としているときもある、とついでに確認しました。


 次回は、このように機械ではない身体を、医学がなぜ機械と見なすのか確認します。






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