*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.52
◆身体全体を考える
したがって、左手が「左手機械」であることになったように、身体全体が、「どの位置を占めているか」ということと、「どんな力をもっているか」ということしか問題にならない、この世の最小の何か(元素)の寄せ集めにすぎないことになります(先のBに相当)。
科学が考えるこの身体を以後、身体機械と呼ぶことにしましょうか。
と同時に、俺が現に感じている、頭のてっぺんから足の先までひと連なりになった「身体の感覚」は、俺の心のなかにある像にすぎないことになり(先のAに相当)、俺の脳が作り上げたものであることになります(先のCに相当)。俺の心の外に実在している「身体機械」についての情報をもとに、って。
まとめるとこうです。事のはじめに「絵の存在否定」と「存在の客観化」とを立てつづけに為す科学の手にかかると、
- イ.身体は「身体機械」であることになる。
- ロ.「身体の感覚」は、俺の心のなかにある像にすぎないことになる。
- ハ.その心のなかの像は、俺の脳が、俺の心の外に実在している「身体機械」についての情報をもとに作り出したものであることになる。
以上が、ほんとうは機械ではない身体が科学に、機械と見なされるに至った経緯です。
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