(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学がやっているように身体を機械と見なすと、こんなふうに快さや苦しさの意味がまったくわからなくなって、もう頭が爆発しちゃいそうだ(1/4)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.54

目次
・快を「好物への接近行動前のウォーミングアップ」のサインとし、不快を「敵からの逃避行動前のウォーミングアップ」のサインとする説
・性被害者を「なのになぜ逃げなかった!」と叱りつける極悪非道理論
・快さと苦しさがやっぱりここでもうっちゃられる



◆快を「好物への接近行動前のウォーミングアップ」のサインとし、不快を「敵からの逃避行動前のウォーミングアップ」のサインとする説

 科学が、機械ではない身体を機械と見なすことにした結果、みなさんのように「苦しくないか、苦しいか」を争点にすべきところで、「正常か、異常か」を争点にしてしまうことになっている、その実際の様子を、前回にひきつづき確認します。


 科学には、快さと苦しさについて、つぎの2種類の説があるように思われるとのことでしたね。

  1. 快さとは心のなかに発生した、「身体機械」が正常であることを(心に)知らせるサイン/苦しさとは心のなかに発生した、「身体機械」が異常であることを(心に)知らせるサイン
  2. 快さとは心のなかに発生した、好物への接近行動まえに「身体機械」に起こっているウォーミングアップがいかようかを(心に)知らせるサイン/苦しさとは心のなかに発生した、敵からの逃避行動まえに「身体機械」に起こっているウォーミングアップがいかようかを(心に)知らせるサイン


 今回は前記2について考察します。これは、脳科学が好む説と言えるのかもしれません。

 

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つぎの2冊を参考に考察します。

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 でもそのまえにつぎのことを復習しておきますよ。科学の身体観(身体機械論)はつぎのような見方をするものであるということでした。

  • ①身体とは「身体機械」である。
  • ②「身体の感覚」は、心のなかにある像である。
  • ③その像は、心の外に実在している「身体機械」についての情報をもとに、脳が作り出したものである。

 

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身体がほんとうは機械なんかではないことを、あっと言う間に確認した記事。

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*前回の短編(短編NO.53)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。