(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

機械なんかでは決してないことが明らかな身体を科学が機械と決めつける、嗚呼、あの不幸な瞬間(1/6)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.6】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.52

目次
・科学が事のはじめに為すふたつの存在改悪作業
・絵の存在否定(作業1)
・存在の客観化(作業2)
・科学が、機械ではない身体を機械と見なす瞬間
・左手を例に考察する
・身体全体を考える


◆科学が事のはじめに為すふたつの存在改悪作業

 機械ではない身体を、なぜ医学が機械と見なすのか、それをいままさに確認しようとしているところです。


 機械ではない身体を機械と見なすそのボタンの掛け違いが、医学に深刻な帰結をもたらしてきたことは、先に確認しておきましたよね。少なくないひとたちが、そのおかげで医療から理不尽な損害をこうむってきた、ということでした。

 

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理不尽な損害1

理不尽な損害2

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 そのボタンの掛け違いが起こる瞬間をちょうどいまから目の当たりにしていきます。


 でも、そのまえにここまでの流れを簡単に確認しておきましょうか。こういうことでしたね。


 科学は事のはじめに「絵の存在否定」「存在の客観化」と俺が呼ぶ、ふたつの作業を立てつづけに為し、存在を改悪する。


◆絵の存在否定(作業1)

 まず前者の「絵の存在否定」という作業を為すことによって、科学は、俺が現に体験しているもの一切を、たとえば、俺が現に目の当たりにしている物の姿や、現に聞いている音、現に嗅いでいる匂い、現に味わっている味などをことごとくみな、俺の心のなかにある像にすぎないことにする(これをと名づけます)。


 そして、それを、俺の脳が作り出したものであるということにする。


 で、俺の心の外にほんとうに実在しているのは、見えることも、聞こえることも、匂えることも、また味わえることも絶対にない何か、そう、「のっぺらぼう」な何かであるということにする。俺の脳は、先に言及した、心のなかの像を、心の外に実在しているこの「のっぺらぼう」な何かについての情報から、作り出す、ということにする。

 

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2023年2月1日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.51)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。