(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学は、外界に実在しているのは、見ることも聞くことも嗅ぐことも味わうことも一切叶わない「のっぺらぼう」であると言うが、それは果してどんなものか(6/6) 【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.5】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.51


 ここまで、電柱を例に、「絵の存在否定」「存在の客観化」という、科学が事のはじめに為すふたつの存在改悪作業を見てきました。それら作業の結果、電柱は、「どの位置を占めているか」ということと、「どんな力をもっているか」ということしか問題にならない、この世の最小の何か(元素という名で想定されてきたもの)の寄せ集めにすぎないことになる、とのことでしたね。


 もちろん科学はこれらふたつの作業を、電柱のみならず、この世にあるその他すべての物にも為します。また、音にも、匂いにも、味にも、身体にも、その他一切、この世に在るすべてのものに為します。


 その結果、心の外には、「どの位置を占めているかということと、「どんな力をもっているかということしか問題にならないこの世の最小の何か元素しか実在していないということになります。


 音は、実はみなさんが耳にして楽しんだり鳥肌を立てたりするあの音のことではなく、空気の振動(元素の運動)のことにすぎなくなります。


 匂いは、みなさんが嗅いで食欲の増進を覚えたり、あるいは鼻をつまむに至ったりするあの匂いのことではなく、匂い分子(元素の寄せ集まり)のことに、味は、みなさんが口のなかいっぱいに広がることを楽しみにしたりするあの味のことではなく、舌の上にのった味物質(元素に寄せ集まり)のことにすぎなくなります。


 何度もくり返しますように、この世界は、「どの位置を占めているか」ということと、「どんな力をもっているか」ということしか問題にならない、この世の最小の何か(元素)が複数、宇宙と呼ばれるひとつの大きな空間のなかに入っているにすぎないものであることになります。


 まさにそれが、物理学の基本的な世界観なのではないでしょうか。


 次回、機械なんかであるはずのない身体が、科学に、機械と見なされるに至る決定的な瞬間を、目の当たりにします。






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