(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

機械なんかでは決してないことが明らかな身体を科学が機械と決めつける、嗚呼、あの不幸な瞬間(4/6)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.6】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.52


◆左手を例に考察する

 先ほど身体全体について言ったことが、俺の左手にも当てはまります。左手とは、ほぼおなじ場所を占めている、「左手の物」と「左手の感覚」とを合わせたもののことですね。


 さて、俺はいま、みなさんの想像では、俺の「左手の物」の姿を目の当たりにしています。その「左手の物」の姿は、俺の眼前数十センチメートルのところにありますね。いっぽう俺(が現に感じている)の「左手の感覚」も、そのおなじ場所を占めていますよね。


 ところが事のはじめに「絵の存在否定」を為す科学の手にかかると、俺が現に目の当たりにしているこの「左手の物の姿と、俺が現に感じている「左手の感覚とは共に、俺の眼前数十センチメートルのところにあるものではなくなります。一転、俺の心のなかにある映像と感覚像にすぎないことになります(先の①を参照ください)。


 そして、科学はさらに「存在の客観化」を為すことによって、俺の眼前数十センチメートルのその場所に実在しているほんとうの左手は、「どの位置を占めているかということと、「どんな力をもっているかということしか問題にならないこの世の最小の何か元素の寄せ集めにすぎないということにします(先の②を参照ください)。


 こうして科学にとって左手は、単なる「元素」の寄せ集めにすぎないものであることになります。そこに「左手の感覚」は含まれないことになります。


 つまり、機械であることになるわけです。






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