(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学は身体を機械と見なすが、身体が機械であったことは嘗てただの一瞬もないこと(4/5)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.2】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.48


◆見えているものは実は、ほとんど見えていない(補足)

 いま、身体がほんとうは機械ではないことを詳しく確認しました。医学はこの機械ではない身体を機械と見なすということでしたけど、なぜ医学は身体をそのように機械と見なすのか。つぎに見ていくのはそのことですが、それは次回でということにして、今回は最後に、せっかくですし、もうすこし身体について確認させてもらっておくことにしましょうか。


 先ほど例にとった左手をもちいて、「身体の物」について、もうすこし突っ込んで見ておきます(存在の神秘に、ほんのすこしだけ、迫ります)。


 先ほどみなさんには、俺が、俺の眼前数十センチメートルのところに、俺の左手を見ているものと想像してもらいました。引きつづき、そう想像しておいてもらえます?


 その左手というのは、俺の眼前数十センチメートルのところでほぼおなじ場所を占めている、「左手の物」と「左手の感覚」とを合わせたもののことでしたよね。


 いまこの瞬間、俺は、俺の眼前数十センチメートルのところにある「左手の物」の姿を目の当たりにしていると言えます。


 ところが、いま俺にその「左手の物」はすべて余すところなくみな、見えているわけではありませんね? 見えているのは、「左手の物俺のほうを向いた面のその上っ面だけですね? その側面も、裏面も、中身も、俺にはまったく見えていませんね?


 では、俺には見えていない、「左手の物」のその、側面、裏面、中身、はこのとき俺には存在していないことになるでしょうか。つまり、「左手の物」はこのとき俺にとって、現に見えている、俺のほうを向いた面の、その上っ面だけしか存在していないということになるでしょうか。


 さすがにそんなことはないですね。違いますか?


 いや、違いはしませんね。


 俺には見えていない、「左手の物」の、側面も、裏面も、中身も、このとき、見えないありようとでも表現すべき姿で、現に俺の目のまえに存在している、と言ったほうが現実に即しているのではありませんか。


 だって、そうではありません?


 もし、現に見えているところしかそのとき(みなさんにたいして)存在していないということになると、みなさんの目のまえにいるひとの顔はどうなりますか? そのひとの顔はみなさんには、みなさんのほうを向いた面の、その上っ面しか見えていません。したがって、現に見えているところしか存在していることにならないのだとすると、みなさんの目のまえに存在しているのは、現にみなさんに見えている、そのひとの顔の、ペラッペラの上っ面だけということになりますね?


 それでは妖怪と区別がつかなくなってしまいませんか


 でも、幸いなことに、みなさんの目のまえに存在しているのは、やっぱり、そのひとの顔丸ごとひとつですね? みなさんのほうを向いた面の上っ面だけではなく、みなさんにはいま見えてはいない側面も、中身も、後頭部も、そこに厳と存在していますよね?


見えないありよう」とでも表現すべき姿で、ね?


 要するに、こう言えるのではないかということですよ。


 いま俺の眼前数十センチメートルのところで、俺の「左手の感覚」と「左手の物」とがほぼおなじ場所を占めている。そして後者、「左手の物」については、俺のほうを向いた面の、その上っ面のみが「見えるありよう」を、それ以外の部分(側面、裏面、中身)はみな「見えないありよう」を、それぞれとった姿で、そこに存在している、って。






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*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.47)はこちら。


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