(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学は、外界に実在しているのは、見ることも聞くことも嗅ぐことも味わうことも一切叶わない「のっぺらぼう」であると言うが、それは果してどんなものか(3/6) 【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.5】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.51


◆関係は自律的なものである

 そうですね、先ほど確認しましたね。電柱は一瞬一瞬答えることによって、他のものたちと関係しているということでしたね。「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、ね? すなわち、その関係は、「電柱による自律的なもの」であるということでしたね。


 だけど、事のはじめに「存在の客観化」を為し、その電柱を「ただただ無応答でそこに在るもの」であることにする科学には、電柱の、他のものたちに対する関係をこのように「電柱による自律的なもの」と見ることはもはやできないということでした。


 これは、別の言い方をすると、科学は電柱の、他のものたちに対する関係を、裏返しにして考えるしかないということです。


 電柱はそのありようを、他のものたちによって律せられる、という他律的なかたちで他のものたちと関係しているんだ、というふうに。


 つまり、他のものたちが、力というものを発揮して、電柱のありようを律する(操る)、と考えるしかないということです。


 この他律的な関係*1というものこそ、古来、因果関係という名で呼ばれてきたものではないでしょうか。


 さあ、いま、科学が捏造してきた関係を確認し終わりました。各存在は他のものたちと関係するために、互いに力なるものをもつことになったということでしたね。


 したがって、そんな科学のもとでは、電柱は、「どの位置を占めているかということと、「どんな力をもっているかということしか問題にならない何かであることになります。






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*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*前回の短編(短編NO.50)はこちら。


*これのpart.1はこちら(今回はpart.5)。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

 

 

*1:関係はほんとうは自律的なものであって、この「他律的な関係」という表現は、「夜の朝食」みたいに実は意味をなしませんが。