(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学は、外界に実在しているのは、見ることも聞くことも嗅ぐことも味わうことも一切叶わない「のっぺらぼう」であると言うが、それは果してどんなものか(2/6) 【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.5】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.51


◆科学は関係をも別ものにすり替える

 しかしそのように電柱が、「どの位置を占めているか」ということしか問題にならない何かだとしたら、どうなります?


 電柱は、他のものたちと一切関係していない、ということになりませんか。現に在る場所に、ただぽつんと、我何にも関せずといった具合で、位置を占めているだけ、ということになりませんか。


 いや、なりますね?


 そこで科学は、電柱と他のものたちとの関係をここで考え合わせることになります。


 でも、電柱と他のものたちとの関係ってそもそも何でしょう? 何度もくり返しますように、電柱は実際は一瞬一瞬答えるものです、「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに。電柱は一瞬一瞬その問いに答えることによって、他のものたちと関係しているわけです。


 たとえば、電柱に向かって俺が歩み寄っていくと、その電柱の姿は刻一刻と、大きく、かつ、くっきりしていきます。電柱はそのように姿を刻一刻と大きく、かつ、くっきりさせることによって、俺の身体と関係しているわけですね。


 太陽が雲間に隠れたり、再度雲間から出てきたりすると、その都度、電柱は姿を薄暗くしたり、黄色くしたりします。電柱は姿をそのように薄暗くしたり黄色くしたりすることによって、太陽や雲らと関係しているわけですね?


 つまり、電柱にとって、身をもってその問いに答えることこそが、他のものたちと関係するということであるわけです。


 だけど、科学は事のはじめに「存在の客観化」という存在改悪作業を為すことによって、既にその電柱を、そうした問いに答えることのないもの(ただただ無応答で、そこに在るもの)にすり替えてしまっています。したがって、電柱と他のものたちとの関係を、いま言った、事実どおりに、捉えることはもはや科学には不可能です。


 よって、科学には、電柱と他のものたちとのあいだを、実際にはありはしない、ニセの関係でつなぐしか、もう手はありません。


 で、実際、科学はそうした手をとってきました。


 では、科学はどんなニセの関係を捏造し、電柱とその他のものたちとのあいだをつないできたのか。


 はじめに再度、電柱の、他のものたちに対する関係とは、ほんとうはどのようなものか、考えてみてくれますか。






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*前回の短編(短編NO.50)はこちら。


*これのpart.1はこちら(今回はpart.5)。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。