*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.50
いま、電柱を例に、科学が為す「絵の存在否定」という作業について確認してもらいました。その作業の結果、どうなったか。前方数十メートルのところにある電柱が、現に俺がその姿を目の当たりにしているというのに、見えていない(見えない)ことになりましたね。そして、現に俺が目の当たりにしているその電柱の姿は一転、俺の心のなかにある映像にすぎないことになりましたね。
箇条書きにすると、こういうことです。
- A.現に俺が目の当たりにしている電柱の姿は、俺の心のなかにある映像であることになる(見えるのは心のなかの映像にすぎないという思想の出来)。
- B.俺の前方数十メートルのところに実在している電柱は、決して見ることのできない、いわゆる「のっぺらぽう」であることになる(ものはほんとうは見えないという思想の出来)。
で、さらに科学は、現に俺が目の当たりにしているその電柱の姿(A)を、俺の脳によって(俺の心のなかに)作り上げられたものであることにします。俺の前方数十メートルのところに実在している、決して見ることのできない「のっぺらぼう」な電柱(B)についての情報をもとに、俺の脳が作り出したものなんだ、って。
科学は事のはじめに、俺がそれぞれ、「絵の存在否定」、「存在の客観化」と呼ぶところの作業を立てつづけに為し、存在を改悪すると最初に言いました。そのうちの前者、「絵の存在否定」をいま、電柱を例に確認しました。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.48)はこちら。
*これのpart.1はこちら(今回はpart.3)。
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