(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

機械なんかであるはずがない身体を科学が機械と見なすに至るキッカケにみなさんはドギモを抜かれる(1/7)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.3】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.49

目次
・科学は機械ではない身体を機械とみなす
・科学が事のはじめに立てつづけに為すふたつの不適切な作業
・ひとつ目の作業、「絵の存在否定」
・「絵の存在否定」はすべてを心のなかの像に変える
・心の外に実在するものはすべて、見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、味わうことも一切叶わない「のっぽらぼう」
・補足で音について「絵の存在否定」をしてみる


◆科学は機械ではない身体を機械とみなす

 前回、身体がほんとうは機械ではないという極々当たり前のことを確認しましたよね。ここからは、機械ではないその身体をなぜ医学が機械と見なすのか、確認していきます。

 

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身体が機械ではないという極々当たり前のことをちょうど確認した場面。

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 しかし、そんなことはどうだっていい些事にすぎないと思うひともいるかもしれません。


 でも、実のところ、それは、みなさんの生命と健康に直接関わるとても大事な話です。だって、そうではありませんか。機械ではない身体を機械と見なすこのボタンの掛け違いが、医学に深刻な帰結をもたらしてきたことは、先に確認しましたよね。


 本題に入るまえに今一度、その帰結を銘記しなおしておきましょうか。こういうことでした。

  1. 身体はほんとうは機械ではない。
  2. 医学は、ほんとうは機械ではない身体を、機械と見なす(ボタンの掛け違い発生)。
  3. その結果、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって争点にするところを、みなさんのように「苦しくないか、苦しいか」には置けなくなり、その代わりに「正常か、異常か」と考えることになった。


「治る」とは病気だったのが健康になるということです。したがってその意味は、健康、病気を何と定義するかによって決まることになります。にもかかわらず、医学はその定義を、患者であるみなさん(の心の声)がするのとはまったく別様にやってきたわけですよ。


 そんなことでは、みなさんの要望(心の声)に沿う結果を出すのが難しくなるではありませんか。実際、みなさんの要望は医学にしばしば足蹴にされてきたのではありませんか?

 

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しばしば足蹴にされてきた、みなさんの「訴え」と「要望」についてはこちら。

しばしば足蹴にされてきた、みなさんの「副作用がつらい」という叫びについてはこちら。

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 身体の見方についてのこの医学のボタンの掛け違いが、いかにみなさんの生命と健康に直接関わってくる大事な話であるか、いま簡単に再確認してもらいました。


 では、本題に入ります。なぜ、機械ではない身体を医学は機械と見なすのか。






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2023年2月2日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.48)はこちら。


*これのpart.1はこちら(今回はpart.3)。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。