(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできないというのは本当?

副作用を我慢してでも治療を受けるべきとみなさんが判断するのはどんな時か(1/5)【医学は副作用を侮ってきた? part.2】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.43

目次
・そもそもみなさんは何を、健康、病気と見るか
・A.治療を受けてかえって苦しさが酷くなる場合
・B.治療を受け、苦しさがマシになる場合
・みなさんは苦しさを比較したあと、生存期間の延長・短縮を考え合わせる


 統合失調症と診断されたひとたちに使用される薬の副作用について考察しています


 前回、こう問いかけましたよね。(精神)医学は、治療薬の副作用は「たいしたことがない」場合がほとんどであると請け合うが、実はそうではない可能性はあるのではないか。ほんとうは副作用はしばしばたいしたことがあるのに医学がそれらを勝手にたいしたことがないものと決めつけ侮ってきただけなのではないか、って。

 

 

 で、そう問いかけたあと、岡田尊司精神科医著『統合失調症』(PHP新書、2010年)から、クロルプロマジンハロペリドールという薬の副作用についての記述を見、つぎのふたつのことを確認しました(それら2つは、1950年代初頭にはじまり30年以上にわたって、統合失調症と診断されたひとたちによく処方されていた薬であるとのことでした)。

  1. そうした副作用をこうむる「頻度」は決して稀ではなさそうだったこと
  2. その副作用の苦しさの「強さ」自体、しばしば「たいしたもの」だったかもしれないという疑いが色濃くあること


 ほんとうは、そうした薬の副作用はしばしば「たいしたことがある」のに、医学がそれらを勝手に「たいしたことがない」ものと決めつけ、侮っているだけという可能性が、あながち考えられないでもないことが、その引用から確認できたわけでしたね?


 では、さらに踏み入った考察をして、もっと白黒をハッキリつけられるか、やってみることにしましょうか。はたして(精神)医学が言い切るように、ほんとうにほとんどの場合、副作用は「たいしたことがない」のか、それとも、いま俺たちの胸のなかに兆した暗い予感が囁いているように、副作用はほんとうのところしばしば「たいしたことがある」のか。


 でも、そのまえに、下準備しますよ。ふだんみなさんがどんなふうに副作用を見るか、まず確認しておきます。



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*前回の短編(短編NO.42)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。