*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.44
◆薬を飲むことによって、「かえって苦しさが酷くなった」のだとしたら
では、もしほんとうに薬を服用することによって「かえって苦しさが酷くなった」のだとしたら、その場合はどうなります?
ふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、「苦しくないか、苦しいか」を争点にするみなさんにとって、治るとは「苦しまないで居てられるようになること」であるとのことでしたよね。したがって、治療を受けて、「かえって苦しさが酷くなる」というのは、みなさんからすると、損をするということであるとのことでしたね。
そこで、こういうことになります。
その損を埋め合わせるくらい、その薬の服用によって「生存期間」が伸びるということなら、その薬を服用する意味はある。すなわち、その副作用は「たいしたことがない」と見ることができる、って。
だけど反対に、そんなに「生存期間」は伸びないということになると(短縮する場合は尚更)、その薬を服用しても、「かえって苦しさが酷くなる」という損をするだけ、ということになりますね。その副作用はこうむるに値しない。すなわち、副作用は「たいしたことのある」ものだということになりますね?
では、先の引用文中にあったクロルプロマジンやハロペリドールを服用すると、「生存期間」は伸びるのでしょうか。統合失調症と診断されたひとたちに処方される薬全般については、服用すれば「生存期間」が延長すると、みなさん聞きますか? どちらかというと、服用しても「生存期間」が短縮することはないという消極的な言い方をよく耳にするような気がしませんか(でも実際のところ、申し訳ないですが、「生存期間」が伸びるのか伸びないのか、詳しいところを俺は知りません)。
だとすれば、結論はこうなりますね。
クロルプロマジンやハロペリドールを服用すると、しばしば「かえって苦しさが酷くなる」という損をする場合がある。そうした場合、「かえって苦しさが酷くなる」という損を埋め合わせるくらい、その薬の服用によって「生存期間」が伸びるのかというと、そんなことはあまり聞かず、もしほんとうにその薬によって「生存期間」が伸びるということがないのなら、その薬を服用して、損をしているだけということになる。副作用は「たいしたことのあるもの」ということになる、って。
ほら、統合失調症と診断されたひとたちに処方される薬の副作用がしばしば「たいしたもの」だった可能性は十分にあるではありませんか?
(精神)医学が、副作用はほとんどの場合「たいしたことがない」と勝手に決めつけ、侮ってきただけということは十分あり得るのではありませんか?
*前回の短編(短編NO.43)はこちら。
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