(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

「たいしたことのある」副作用を「たいしたことがない」と侮る医学の見方 (4/4)【医学は副作用を侮ってきた? part.4】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.45


◆医学の、一点をとり除けさえすれば至上主義

 けど科学は、身体のなかのこととなると、先祖返りして、出来事を一点のせいにします。いや、それともこう表現したほうがヨリ適切でしょうか。医学という分野では科学は、出来事を一点のせいにするという原始的・魔術的思考法をいまだ克服することができていない、って。


 ともあれ、医学は、身体に起こる出来事を一点のせいにします。病院を訪れた女性が診察室で、「ブス、ブスという声が聞こえてくる。整形手術をしてほしい」と必死に訴えるのを聞きながらも、「苦しさ」を訴えているとはとらず、精神の「異常」を訴えているとし、その異常を脳のなかの一点のせいにします


 ひとによって、脳内のドーパミン過剰のせいにしたり、脳のなかのウィルスに食い散らかされた一部分のせいと想定したり、発達段階で脳の一部に問題が起こったためと考えたり、遺伝子のどこかに欠損があるせいに違いないとしたり、ね?



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下記の2冊に、統合失調症なりを身体のなかの一点のせいにする、科学者のいろんな説が書いてあったような気がします。

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 で、(精神)医学はその一点をとり除こうとします。


 そんな医学にとって、治療の成功失敗は、その一点をとり除けるか否か、になります。


 現に、ガンの治療なんかはそうなっていませんか? 具合の悪いひとがいて、そのひとの身体のなかにガンが見つかったら、医学はその具合の悪さをすべて、ガンという一点のせいにし、それをとり除きさえすればいいとしますよね。それをとり除けさえすれば治療は成功だし、とり除けなければ失敗だ、って。


 そんな医学は副作用をこう見てきたと言えるのではないでしょうか。


 副作用をそうした一点(病気の原因という名で呼ばれるもの)をとり除く*1ためにはよほどのことがない限り、すなわち、即死ほどの重篤なことが起こらなさそうである限り、我慢して当然と見なしてきた、って。


 そうして医学は、即死といった重篤なもの以外の副作用を我慢して当然のたいしたことがないものと勝手に決めつけ侮ってきたんだ、って。


 今回は、(精神)医学が、「たいしたことがある」副作用を勝手に「たいしたことがない」ものと決めつけ、侮ってきたその仕方について考察しました。






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寿命あと6ヶ月と宣告された方が、延命効果6ヶ月と見込まれる抗がん剤治療を医師に勧められたという実例に、今回もちいた副作用の見方を適用して考察した記事はこちら。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.44)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:この一点をとり除くことを、医学は「根本治療」と呼んで、「対症療法」と対比し、前者を素晴らしいもの、後者を一時的なツマラナイものと喧伝してきたのではなかったでしょうか。