(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

「たいしたことのある」副作用を「たいしたことがない」と侮る医学の見方 (3/4)【医学は副作用を侮ってきた? part.4】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.45


◆身体に起こる出来事についての医学の独自解釈

 で、そんな医学は、身体に起こる出来事を、それを正常と見るにせよ、異常と見るにせよ、身体のなかの一点のせいにしてきました


 たとえば、みなさんが歩いているとしたら、それを医学は、身体のなかの脳という一点のせいにしますよね? 身体のなかの脳という一点が、歩くという運動を企画立案し、その企画を実現するために、神経を通じて、手足に指令(電気信号)を送り、動かすと説明しますね。人形遣いが、糸で人形を操るみたいに、ね?


 また、みなさんの姿形がそのようであるのを、遺伝子という一点のせいにしますよね?


 みなさんが苦しさを訴えて病院に行き、検査を受けたら、ガンが身体のなかにみつかった。すると、その場合はその苦しさを、ガン一点のせいにしますね。


 もちろん、出来事を一点のせいにすることはできませんよ。それは物理学が、実績をもって間接的に示してきたことですね。水中であれ、上空であれ、宇宙空間上であれ、テープル上であれ、どこであれ、そこで起こる出来事を、何か一点のせいにするといったそんな単純な仕方で物理学が説明しようとしているのを、みなさん、見たことがありますか?


 ありませんよね?


 出来事を一点のせいにするというのは、原始的な  ひとによっては「非科学的な」と形容したくなるのかもしれませんけど  思考法です。人種差別や民族差別といった差別に見られる誤った出来事解釈です。たとえば、ある在日外国人が罪を犯したら、その行為を、そのひとの外国人であること一点のせいにし、何々人は犯罪人種だとか、犯罪民族だと決めつける類いの迷信的思考法です。


 いま迷信的と言いました。出かけるたびに雨に出くわす。そこでそれら雨振りを、その場にいつも居合わせた誰かひとりのせいにし、そのひとに過大な責任を押しつけ、そのひとを雨男もしくは雨女と命名するという魔術的思考がありますけど、まさにそれこそ、出来事を一点のせいにするという操作ではありませんか。


 出来事を一点のせいにするというのはそうした非現実的な、魔術的思考法です。ひとはそのように出来事を一点のせいにし、その一点を、当該出来事の「原因と呼んできました






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