(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

「たいしたことのある」副作用を「たいしたことがない」と侮る医学の見方 (2/4)【医学は副作用を侮ってきた? part.4】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.45


◆医学による、健康、病気の独自な定義

 そもそも(精神)医学は、健康、病気をみなさんとはまったく別様に考えます。


 ふだんみなさんは、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」を争点にするということでしたよね。つまり、治るとは、みなさんにとって、「苦しまないで居てられるようになること」でしたね。


 ところが、ひとの身体を機械と見なす医学には、快さとか苦しさというのは、訳のわからないものにすぎません。だって、機械は快さや苦しさを感じないではありませんか。したがって、快さや苦しさを、機械に見られる何らかの現象として説明しようとすると、かならず行き詰まって、何が何やらわからなくなります。


 そんな何が何やらわからない、快さ・苦しさなるものにもとづいて、健康や病気という大事なものを医学が定義づけようとすると、みなさん思います?


 そんな大それたことをしようとするとは思えませんね?


 実際、医学は、そんな大それたことはしてきませんでした。その代わりに、みなさんとは別様に、健康を正常であること病気を異常であることとそれぞれ独自に定義づけてきました。


 要するに、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、みなさんが争点にしてきたのは、「苦しくないか苦しいか」であるのに、みなさんとおなじようにやれ健康だ、やれ病気だと盛んに言っていながらも、そう言うことで医学が争点にしてきたのは、「正常か異常か」だったということですよ。



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ちなみに、ひとを異常と見るのは誤りであるということでしたよね。

(注)上記記事よりもっと簡単にそのあやまりを確認する回はこちら。

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 病院にやってきたひとが目のまえで、「ブス、ブスという声が聞こえてくる」と、必死に「苦しさ」を訴えていても、医学はそれを「苦しさ」を訴えているとはとらず、精神の「異常」を訴えていると見てきました。


「目のまえのこのひとは、意味不明なことを言っている。精神がおかしくなっているな。異常になっているんだ。精神を正常にしてやらなくてはならない」。そう考えてきました。

 

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その実例を下の記事で目の当たりにしました。

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 医学にとって、治るとは「苦しまないで居てられるようになること」ではなく、「異常であるのが正常になること」であるというわけです。






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*前回の短編(短編NO.44)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。