(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

みなさんのふだんの見方を用いて、副作用がほんとうに「たいしたことがない」のか、検証する(2/4)【医学は副作用を侮ってきた? part.3】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.44


◆薬を飲むことによって、当初の「苦しさ」を別の「苦しさ(副作用)」と交換する

 まず、こう想像してみましょうか。


 ある女性が精神科にやってきて、「ブスブスという声が聞こえてきてうるさくて堪らない。整形手術をしてほしい」と訴え、それを聞いた精神科医がその女性を統合失調症と診断し、クロルプロマジンもしくはハロペリドールを処方した、って。



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想定しているその女性については下の短編で詳しく考察しました。

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 ここでは、その女性のブスブスという声が聞こえてきてうるさくて堪らないという苦しさ、この薬を服用しているうちに、完全に消え去ったと、最大限に楽観的な仮定をしてみますよ。現実的にはそのように「完全に消え去る」ことはなかなか難しいと思いますけれどもね。


 すると、その女性は、その服用によってあらたに別の苦しさ」(副作用)をこうむることになった。岡田精神科医の、先に引用した文章のなかには、このクロルプロマジンハロペリドールの副作用についてこう書かれてありました。この女性も、つぎに再掲したその文章中にある、服用者によく生じた日常生活での支障が大きい副作用をこうむることになったとしますよ。そして時に、その副作用を我慢することができなくなって、副作用止めの薬を服用するも、また別の副作用が生じ、副作用から解放されることはほとんどなかった、って。

 ただ、これらの薬は、手の震えや前屈み歩行といったパーキンソン病に似た症状をはじめ口渇や便秘排尿障害眠気疲れやすさなどの副作用を生じやすく、症状がよくなっても、日常生活での支障が大きかったのである。副作用を抑えるために副作用止めの薬をのみまたその副作用が生じるということも多かった(岡田尊司統合失調症PHP新書、p.171、2010年、ただしゴシック化は引用者による)。






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*前回の短編(短編NO.43)はこちら。


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