(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

みなさんのふだんの見方を用いて、副作用がほんとうに「たいしたことがない」のか、検証する(3/4)【医学は副作用を侮ってきた? part.3】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.44


◆薬を飲むことによって、苦しさは「かえって酷くなった」のか、それとも「マシになった」のか

 いま登場してくれている女性は当初、他人にブスと思われているのではないかと気になって気になって仕方がないという「苦しさ」を覚えていた。そんなところで、精神科医の処方した薬を服用すると、その「苦しさ」は完全に消え去ったが、反面、新たに、いまの引用文にあった、服用者によく生じる副作用(別の苦しみ)をこうむることになった。

 

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その女性が実はそんな「苦しさ」を覚えていたというそのことについては下記で確認しました。

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 つまり、その女性は、その薬を服用することによって、当初のひとにブスと思われているのではないかと気になって仕方がない苦しさ、引用文中にあった副作用別の苦しみとを交換することになったわけですね。


 では、いまの場合、その薬を服用することによって、苦しさはかえって酷くなった」のか、それともマシになった」のか? 


 すなわち、薬を服用せず、ひとにブスと思われているのではないかと気になって仕方がない「苦しさ」をそのまま持ち続けた場合と、その薬を服用し、先の引用文中にあった「日常生活での支障が大きい」、副作用止めもなかなか効かない副作用(苦しさ)をこうむって生活していく場合とでは、どちらの苦しさのほうが酷いのか(ただし、苦しさが酷いとかマシとかという判定は、何度も言っていますように、苦しさの、強度、頻度、期間等を総合的に勘案したうえでの比較評価と考えてくださいね)。


 どうですか。絶対確実な判定を下すことはむつかしいかもしれませんが、でも、その薬を服用をすることによって「かえって苦しさが酷くなったという可能性は無くはないと思われませんか?






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*前回の短編(短編NO.41)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。