*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.43
◆A.治療を受けてかえって苦しさが酷くなる場合
Aから行きますね。治療を受けて、「かえって苦しさが酷くなった」場合です。
先ほど、みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にしているのは、「苦しくないか、苦しいか」であると確認しました。みなさんにとって、治るとは、「苦しまないで居てられるようになること」であるとのことでしたけど、そんなみなさんからすると、治療を受けて、「かえって苦しさが酷くなった」というのは何を意味しますか。
それは、損をした、ということを意味するのではありませんか。
よって、その治療を受けたのは失敗だったかもしれないという黒い疑念が、みなさんの胸のなかに頭をもたげてくることなりますね?
だとすれば、そこでみなさんは、そうした疑念を振り払うためにも、こう考え進めるのではないでしょうか。その損を埋め合わせるだけのものが、その治療から別に、もたらされるのではないか、って。
もっと詳しく言うと、こういうことですよ。
この「かえって苦しさが酷くなった」という損を埋め合わせるくらい、「生存期間」がこの治療を受けたことによって伸びれば、この治療を受けて良かったということになる。だが、そうした損を埋め合わせるほどの「生存期間」延長効果がないのなら、その治療を受け、損をしたにすぎなくなる、って。
いま、治療を受けて、「かえって苦しさが酷くなる」場合を見てみました。こういうことでしたね。
A.治療を受け、「かえって苦しさが酷くなる」場合
- 「かえって苦しさが酷くなる」という損を埋め合わせるくらい、その治療によって「生存期間」が伸びる→その治療を受けると最終的には得をする
- 「かえって苦しさが酷くなる」という損を埋め合わせるほどまでは、その治療によって「生存期間」は伸びない→その治療には損しかない
*前回の短編(短編NO.42)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。