(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

副作用を我慢してでも治療を受けるべきとみなさんが判断するのはどんな時か(3/5)【医学は副作用を侮ってきた? part.2】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.43


A.治療を受けてかえって苦しさが酷くなる場合

 Aから行きますね。治療を受けて、「かえって苦しさが酷くなった」場合です。


 先ほど、みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にしているのは、「苦しくないか、苦しいか」であると確認しました。みなさんにとって、治るとは、「苦しまないで居てられるようになること」であるとのことでしたけど、そんなみなさんからすると、治療を受けて、「かえって苦しさが酷くなったというのは何を意味しますか。


 それは、損をした、ということを意味するのではありませんか。


 よって、その治療を受けたのは失敗だったかもしれないという黒い疑念が、みなさんの胸のなかに頭をもたげてくることなりますね?


 だとすれば、そこでみなさんは、そうした疑念を振り払うためにも、こう考え進めるのではないでしょうか。その損を埋め合わせるだけのものが、その治療から別に、もたらされるのではないか、って。


 もっと詳しく言うと、こういうことですよ。


 この「かえって苦しさが酷くなった」という損を埋め合わせるくらい、「生存期間がこの治療を受けたことによって伸びれば、この治療を受けて良かったということになる。だが、そうした損を埋め合わせるほどの生存期間延長効果がないのなら、その治療を受け、損をしたにすぎなくなる、って。


 いま、治療を受けて、「かえって苦しさが酷くなる」場合を見てみました。こういうことでしたね。


A.治療を受け、「かえって苦しさが酷くなる」場合

  1. 「かえって苦しさが酷くなる」という損を埋め合わせるくらい、その治療によって「生存期間」が伸びる→その治療を受けると最終的には得をする
  2. 「かえって苦しさが酷くなる」という損を埋め合わせるほどまでは、その治療によって「生存期間」は伸びない→その治療には損しかない





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*前回の短編(短編NO.42)はこちら。


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